(四)

文字数 1,688文字

 模擬戦闘が始まった。草原に展開した部隊に突撃を指示する太鼓の音が、力強く鳴り響いた。

「ダン、ダダ、ダダ、ダン!ダン、ダダ、ダダ、ダン!ダン、ダダ、ダダ、ダン!」

 リョウは先鋒として前方へ突撃するアユンの部隊で、さらにその先頭を走るテペにピタリと付いて行った。しばらくして敵が前方に近づくと、左へ急旋回して敵の側面に回るよう旗が振られた。リョウは草原全体の陣形を見て、ドムズの教えを思い出しながら、テペの横に馬を付けた。
「テペ、あまり先を急ぎ過ぎるな。もうすぐ退却の指示が出るぞ」
「何を言ってるんだ。俺たち先鋒が速く走って突撃しなかったら、後ろに追い付かれてしまうじゃないか」
 それは軍の規律から考えても当たり前のことだった。その後も退却の指示は出ず、リョウは「予想は外れだったか」と思いながら、一度緩めた速度を再び増してテペたちを追った。

 それからしばらくして、太鼓の音がドーン、ドーン、ドーンと三つ鳴り響き、丘の上の指揮官は退却の旗を振りだした。偽装退却だろうとリョウは思った。その時点で、左軍の左側は、細い木に覆われた林になっていた。指揮官のアユンは、少し躊躇(ちゅうちょ)した様子を見せた後、右に回り込みながら退却するように指示した。林間の戦いは慣れていないので、それは適切な判断だろうが、「少し遅れたな」とリョウは思った。クルト・イルキンの部隊からなる敵軍の右翼は、すぐ目の前に迫ってきていた。そのまま、正面からぶつかるように交錯し、敵味方が入り乱れての混戦になった。
 カプランがアユンを見つけ、「逃がすな、敵の隊長を討て」と叫び、部下と共に襲って来た。リョウはテペやクッシと共に、アユンの左右の敵を棒の槍で突き倒しながら、何とか帰陣する方向へと馬を走らせた。

 その日の夕刻、ゲルに戻ったリョウたちは、ドムズに呼び出された。
「今日の模擬戦では、なさけない戦いぶりを見せてくれたな。本来なら、退却と見せかけて、いったん戻ってから、他の百人隊と合流して敵を包み込むはずだった。それなのに、お前たちは退却が遅れて、戻りきれなかったのだからな」
 アユンが答えた。
「いや、俺たちは敵も相当倒したし、敵の数の多さを考えれば、互角以上の戦いをした」
 いつも冷静なクッシも加勢した。
「模擬戦闘では、騎射が許されなかった。あのときの位置と風を考えれば、最初に矢を浴びせて敵の態勢を崩し、その隙に戻って来ることができたはずだ」
「何をグダグダ言ってるか。お前たちの隊では、半分が敵に倒されたのだぞ。それは、太鼓が鳴ってもすぐに引き返さず、左の林に行くか、右の敵前に行くか迷って、時を逸したからだ。騎馬の戦いは俊敏な動きが命だ」

 ドムズは、若者たちの軍事訓練を任されているので、部族長の息子であるアユンに対しても手加減はしない。リョウが言った。
「自分は、偽装退却するなら、左前方が林でふさがれる前に引き返すべきだと思っていました」
 いきなりドムズが、拳でリョウの顔を殴った。リョウはもんどりうって地面にたたきつけられた。
「バカ野郎、お前が一番ダメだ。敵の側面に向かう時に、お前が意図的に速度を緩めたのを俺は見ているんだぞ。考えるのはいい、しかし実際に歩を緩めたらそれは軍令違反だ。兵士は黙って軍令どおりに動くのだ、覚えておけ」
「俺は、副隊長が教えてくれたことを考えていた」
「だったら考えるのもやめろ。作戦は上官が考えるのであって、兵士がいちいち考えてたら、戦なんか出来っこない。黙って命令に従うんだ。必死になって、全力で走るから、偽装だとばれないんだ。お前のような奴がタラタラ走ったら、士気も下がるし、偽装と気づかれてしまうだろう」
 そう言いながら、ドムズは尻もちをついているリョウの胸倉(むなぐら)をつかむと、「分かったか」と言いながら、今度はその大きな(てのひら)と甲で力いっぱい二度、三度と殴った。
「明日は、巻狩りだ。巻狩りと言っても軍事演習だ。指示どおりに動け。今日のようなことは二度とするな」
 そう言って立ち去るのと、テペが「だから俺が言っただろ」というのが、意識を失いそうになっているリョウの耳にかすかに聞こえた。
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