(四)

文字数 1,115文字

 細い三日月が出ていた。その(かす)かな光よりも、晴れ渡った夜空いっぱいに広がる星の光の方が、木々を縫って静かに進む男たちの黒い影を揺らしていた。音を出さないよう、馬は一里ほど手前の林に分散して留めてきている。
 遠くに火影(ほかげ)が見えるところまで近づいた男たちは、身体を折り曲げ、木の陰から木の陰へ、慎重に少しずつ前進し、やがて話し声が聞こえるほどの近さの(やぶ)の中にそっと身を潜めた。

 王忠嗣の別動隊を討つ奇襲隊の斥候の一人として、リョウもその中に居た。斥候は、ティルキの配下の二人、ブルトの配下が一人、それにドムズの配下からリョウが選ばれ、総勢四人だった。ゲイック・イルキンの村落がもっとも敵陣に近く、その中でも唐との交易のため、この辺りを何度となく行き来して地理に明るいことが、リョウが斥候に指名された理由だった。

 はじめ奇襲隊の隊長のブルトは、漢人の奴隷であるリョウが斥候に加わることを拒否した。
「つい最近、唐軍に襲われた集落の漢人奴隷が、襲撃者と一緒に逃げ出したことは知っているだろう。この男も漢人の奴隷だ。斥候に行くと言って、逃げ出して唐軍に寝返る心配がある」
 雲を()くような大男のブルトが、(さげす)んだような眼でリョウを見て、大声を出した。
 リョウは嫌なものを感じた。しかし、斥候の道案内にアトが行くわけにもいかず、道案内はいらないと渋るブルトに、ティルキが連れて行けと命じたのだった。
「リョウのことは知っている。アユンのネケルだし、地理にも明るい。漢語も話せる。きっと役に立つだろう」
 リョウも、初めての戦を前にして、自分の配下の奴隷兵士たちと離れるのは嫌だった。しかし、頼みにされたのなら断る理由もない。オドンを小隊長の代理にして、アユンの指揮下においてきたのだった。

 リョウたちが斥候として一足早く出発する少し前に、ティルキが全軍に訓示していた。
「敵の駐屯地には、二千人近い兵が野営しているが、騎馬隊は二百頭にも満たないと、報告があった。千七百騎のわが軍は、負けるはずがない。ただ、突厥では、長いこと本格的な戦闘は無かった。ここには戦争経験の少ない若者が多くいる。それに対して、敵の王忠嗣の軍は、吐蕃や奚と激戦を重ねてきた百戦錬磨の部隊だ。けして油断するな」

 その声を背に、他の三人の斥候と共に出発しようとしたとき、アユンが近づいてきて、少しだけ話があるからと、離れた場所にリョウを誘った。
「リョウ、気をつけろ。ティルキは、お前を道案内に指名はしたが、唐に寝返るそぶりを見せたら直ちに殺せと、自分の部下の二人に命じている」
「どうしてそれを」
「詳しく話している暇はないが、俺にも“耳”は何人かいるんだ。とにかく、ちゃんと戻って来いよ」
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