(五)

文字数 1,384文字

 アユンが駆け寄り、馬を降りて、手にした剣で猪に止めを刺した。テペやクッシも駆け寄り、初めて見る大猪に歓声を上げた。
 しかし、それも束の間、猪より大きな動物が突進して来たかと思うと、あっという間も無く大きく跳躍し、アユンとリョウの上を軽々と飛び越えていった。それは、リョウが初めて見る大鹿の牡だった。冬に抜けた角は、もう立派に生えていた。猪にかき回されたことで、包囲の輪に(ほころ)びができ、鹿がそこに走り込んできたのだった。

「しまった、追え」
 誰からともなく声が出て、騎乗したままのテペとクッシが、逃がすまいと追いかけようとしたとき、その横を数頭の馬が猛烈な勢いで追い越していった。茶色の革の鎧に緑の兜をつけたバルタ隊だった。
 馬と鹿は同じような速さで走るので、簡単には追い付けない。しかし、山の中ならその強靭な足と跳躍力で自在に逃げ回れる鹿も、草原では勝手が違った。逃げる方向に先回りした兵士に阻まれ、右往左往したかと思うと、今度はいきなりアユンとリョウが立っている方向に戻ってきた。
 アユンは鹿に逃げられた失敗を挽回する好機とばかりに、矢を抜き、弓を引き絞った。しかし、アユンが放った矢は、鹿の角の横をすり抜けた。二の矢を(つが)えたアユンと鉤槍を構えたリョウの横を、鹿が走り過ぎ、アユンは振り向きざまに鹿に向かって狙いを定めた。
「待て!放つな!」
 追いかけているバルタ隊の兵士が、そう叫んだのと、アユンが矢を放ったのは同時だった。アユンの矢は、鹿を外れ、その先の味方の一団の背に向かって飛んだ。包囲の輪を崩してしまい、猪と格闘したことで、いつの間にか輪の外に出てしまい、方向も見失っていたのだ。
「危ない!」
 一人の兵士が矢に気付き、身体を投げ出して、自らの背中でその矢から前にいる若者の身を守った。驚いて振り向いた若者の顔に見覚えがあった。

 若者の周囲にいた数頭の騎馬がすぐに駆け寄り、立ち尽くすアユンとリョウを囲んだ。
「お前か、キュクダグ様に矢を放ったのは」
 何が起こったのかもよくわからないままだったアユンは、そこで取り返しのつかないことをしたことを知った。若者は、総隊長ビュクダグの息子、キュクダグだったのだ。
「申し訳ありません。大鹿を狙ったのです」
 アユンは土下座して謝った。リョウも隣で一緒に土下座した。
「キュクダグ様に矢を射かけたのは巻狩り中の事故では済まされない。死罪に値する」
 隊長らしき男がそう言い、剣を抜いたとき、クッシが馬を降りて、アユンの前に身体を投げ出した。
「申し訳ありません。ここに居るのは、ゲイック・イルキンの息子、アユンです。なにとぞ、命だけはお助け下さい」
 テペも慌てて馬を降り、同様に土下座した。

 矢を受けた兵士の様子を見ていたキュクダグが近寄ってきた。
「お前はアユンではないか」
 昨年の夏祭りの馬競争で優勝したキュクダグと、準優勝のアユンは顔見知りだった。騒ぎに気付いたドムズも駆け寄ってきていた。
「アユンは初めての大狩猟で、冷静さを欠いていたのだと思います。アユンの過ちは、アユンを指導する私の過ちでもあります。どうか死罪だけはお許しください。身代りに奴隷を差し出します」
 隊長らしき男は、キュクダグがうなずくのを見て、言った。
「そこの四人を捕らえて、縛っておけ。後で処分を言い渡す。今は巻狩りの最中だ。残りの者は、皆、持ち場に戻れ」
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