(一)

文字数 1,327文字

 ゲルを覆うフェルトが、絶え間なく吹き付ける雪交じりの強い北風に(あお)られ、ガサガサと音を立てて揺れている。ときおり、ゴーッという地鳴りのような音がして、ゲルが傾くのではないかとリョウは心配になった。
 二本の柱と格子状に組んだ木枠四枚で組み立てた比較的小さなゲルは、普通なら家族四、五人で暮らすためのものだが、冬営地のここでは七人の奴隷が一緒に暮らしている。人間の体温も集まれば暖房の足しになるということだろう。ときには生まれたばかりの子羊も、寒さから命を守るために同じゲルに入れられた。

 リョウとシメンが、越冬のためにこの地に来るのは二度目だった。夏の本拠地である集落からは南東に十日ほどの距離にある、山の南麓の谷地に、毎年秋になると、羊や牛を連れて移動してくるのである。
 リョウとシメンが暮らした長安やその近郊の冬の寒さも、身体がかじかむほどだったが、遊牧民の住む地域の寒さはその比ではない。比較的温暖な冬営地に移動してきたといっても、最初の冬は二人にとっては、とても厳しいものだった。そもそも厳冬に堪えられる衣類を持っていなかったので、悦おばさんが古い毛皮やその切れ端をかき集めて作ってくれた、つぎはぎの毛布を(かぶ)って、寒さを凌いでいたものだ。

 そんなある日、シメンが、悦おばさんがリョウのために作ってくれたという、少しはましな毛皮の外套を持って訪ねてきたことがあった。シメンは、怖そうに眉をひそめてリョウを見た。
「悦おばさんが教えてくれたんだけどね、前に、沙漠で人や馬の骨がたくさん転がっているのを見たでしょ。あれはね、雪に埋もれた身体が春になって出て来て、鳥に食い散らかされたものなんだって。でも、もっと怖いのはね、この先の滝つぼでは、雪解けの鉄砲水で川に流された死体が沢蟹なんかに食いちぎられて、人骨が底にいっぱい沈んでいるそうよ」
「ああ、俺も、張から聞いたことがある。良い冬営地を巡る部族どうしの争いに負けると、集落ごと氷漬けになって全滅することもあるんだって」
 寒そうに身体を縮めて帰るシメンの背中を見ながら、リョウは、いくら自分の名前が「風」でも、ここの死をもたらす風は好きになれないなと思った。

 冬営地では、リョウも冬を迎える準備に忙しく働いた。
 二年目ということもあり、もともと要領のいいリョウは、背の高さほどにも伸びた草を刈って干し草の用意をしたり、天候が悪くて放牧ができないときに羊を入れる家畜小屋を修理したり、あるいは越冬用の薪としてカラマツの枝や乾いた羊の(ふん)を集めて保管したりと、張が感心するほどよく立ち働いた。乾いた糞は、家畜小屋の寝床にもなるので、古いものを掻き出して、新しいのを敷いてやるのもリョウの仕事だった。
 シメンも、二年目ともなると、もう立派な働き手だった。草原にいた夏の間は、毎日、牛や馬、羊の乳を搾り、悦おばさんを手伝って大量の乳製品づくりをしていた。牛の搾乳は朝晩二回だが、馬は乳の量が少ないので一日五回も搾らなければならない。シメンは、文字どおり朝から晩まで働き詰めだった。羊毛から毛糸やフェルトを作ることも覚えた。そして、ここの冬営地に来てからも、草刈りから羊の糞拾いまで、男と同じように忙しく働いていた。
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