(七)

文字数 1,211文字

 一人の兵士が走り寄ってきて上官に報告した。
「ほかに敵兵がいないか捜索しましたが、一人、馬で逃げた者がおります」
「ほおっておけ。逃げた斥候の報告を聞いて、奴らは攻めてくるだろうが、その方が都合がよい」
 上官は、(いぶか)るリョウに振り向いた。
「お前は運が良い。突厥が我々を襲ってくるのは、とっくにお見通しだ。ここに居るのは、おとりの部隊で、向こうの丘の陰には重武装の騎馬戦闘部隊が隠れて陣を張っている。奴らが攻めてくれば、両側から挟み撃ちで一網打尽だ。お前も一緒に戦って、今までの恨みを晴らすか」
 リョウは驚いた。今までの斥候は何を見てきたのか。しかし、自分たちもそれを見抜く前につかまってしまったので、それは言えないなとも思った。
 そうしたやり取りがあった後、上官は隊長に報告して処分を仰ぐから、それまでは縛っておけと言いおいて去って行った。漢人と聞いたからか、怪我したカヤにも簡単な手当てをするよう指示してくれた。

 上官の背中を見送る視線の先には、荷馬車があり、その傍らで立ち話をしている二人を見て、リョウは心臓が飛び出るかと思った。一人は、忘れもしない、リョウたちの集落を襲ってきた軍勢の隊長で、あのとき馬上で「皆殺しだ」と叫んでいた男だった。そして、もう一人は、(こう)佇維(ちょい)と一緒に葡萄酒を飲んだ(こう)円汕(えんさん)だった。そう言えば、康円汕は、康佇維とは別の用事があると言って、南に行ったのだと、思い出した。
 二人に見つかったらどうしようもない、そう思ってリョウは焦った。
 報告に行った上官の話をしばらく聞いて、隊長は康円汕をその場に残し、リョウとカヤの方に近づいてきた。リョウの顔をまじまじと見る。目を伏せたリョウは、寒いのにもかかわらず、心臓がドキドキして首筋を冷や汗が伝うのを感じた。

「やめておけ、そいつらが本当に漢人かも、こちら側の人間かもわからない。なんなら奴隷にして売り飛ばしても良いから、戦闘が終わるまで縛っておけ」
 上官にそう言うと、隊長は大股で、康円汕の方に戻って行った。リョウは、ほっとした。まず殺されないで済んだことに、そしてリョウの顔が覚えられてなかったことに。冷静に考えれば、あのときは大勢の一人だったし、子供だったから、覚えられているはずがないのだが。

 しかし、康円汕はそうはいかないだろう。おそらく、康円汕は康佇維の指示で、あるいは康佇維と組んで、あちこち商売しながら得た突厥の情報を、唐側に売っているのだろう。もしかしたら、唐の情報も突厥に売っているかもしれない。商売とはそんなものだろう。その情報が真実であると信頼されていれば、敵も味方も、そのことは知らないふりをして情報を利用する。その代わり、一度でも嘘をつけば、二度と利用されないばかりか、悪くすれば殺される。葡萄酒を飲みながら、康佇維が「嘘は必ずいつかどこかで露見(ろけん)する。われわれ商人は、信用が一番だ」と言ったことの、別の面を見せられたような気がした。
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