(六)

文字数 1,731文字

 リョウは、気分直しにと、焼き上がったばかりの羊肉や(らく)(チーズ)を手に取り、アユンと共に自分たちの移動用簡易ゲルで飲みなおすことにした。宴会場のゲルでは、葡萄酒もふるまわれていることを知っていたリョウは、康佇維と飲んだ葡萄酒の味が忘れられずに、ゲルの外からアトに声をかけ、アユンと二人分の葡萄酒もこっそり手に入れた。アユンはカプランの悪口をさんざん言っていたが、慣れない葡萄酒と旅の疲れか、間もなく寝てしまった。

 ゲルの中で一人、リョウはカプランの言ったことを考えていた。好きな奴ではないが、遊牧民の本音をさらけ出したという意味で、その言葉には(いく)ばくかの真実もあるのではないだろうか。
 遊牧民は家畜によって生きている。しかし、夏の旱魃(かんばつ)や秋の野火、冬の大寒波など、草が不足して家畜が大量に死んでしまう危険と隣り合わせの毎日だ。そうなれば、家畜どころか、人間も飢えや寒さで一族ごと死んでしまうことさえある。そういう困難な時に、自分たち家族の食糧を犠牲にしてまで助けてくれる者などめったにいるものではない。仕方なく、他所(よそ)の遊牧民族を襲うか、あるいは南の農村に家畜を奪いに行くことになる。
 当然、相手の反撃も受ける。負けないためには、大勢で群れた方が有利に決まっている。本来誰にも属さず、自由に生きていくことを好むはずの遊牧民が、群れて大きな集団を作ろうとするのは、他者との戦争、つまりは略奪をするためであり、それが生きるために必要だからなのだろう。
 しかし、少なくともリョウが突厥の遊牧民と一緒に暮らしていて分かったのは、彼らは唐の人たちが言うほど乱暴でも好戦的でもなく、むしろ長安の人々よりは、よほどのんびりと大らかに暮らしているということだった。
 遊牧だけでは自給自足できないことも事実である。だから、農耕民族と遊牧民族が接する辺りには市が立つし、西域の商人も遊牧地帯を回って商売をしている。唐の皇帝と突厥の可汗とが平和共存の政策を採っている限り、唐の農耕民も突厥の遊牧民も、争わずに生きていけるはずなのだ。

 リョウはふと思った。争いの芽は、外にあるのではなく、内にあるのではないか。
 カプランは、可汗への貢物が自分たちに分配されてないと言っていた。アトも、上に立つ者の器量は、いかに公平に戦利品を分配できるかだ、というようなことを言っていた。巻狩りで得た毛皮の分配ぐらいならさほど難しくはないだろうが、それだって不平不満はつきものだ。それが、はるかに大きな、国といえるほどの集団になると、身内の貴族や親衛集団はもちろんのこと、支配下の有力部族から少数民族まで、分配しなければいけない対象がどんどん増えてくる。それら多くの者たちを養い、味方に置き続けなければ、可汗の地位の安泰はない。可汗であるためには、唐や被支配民から大量の貢物を受け取る仕組みを維持することが必要で、それを可能とするのが強大な軍事力ということなのではないだろうか。

 カプランは「足りないから奪う」と言っていたが、それは遊牧民にも決して当たりまえのことではない。初めは自然の猛威から家族を守るための、やむを得ない最小限の行為だった。それが、いつのまにか、「国を守るため」というまやかしの名目の元、実は可汗やその取巻き達の富と力を維持するための行為となって肥大する。そして強大な軍事力、すなわち多くの部族を従えるには、さらに大きな富が必要になる。しかし一方で、平和共存の代償である唐からの絹も、過剰な要求をすれば唐の朝廷だって黙ってはいない。
 こうして突き詰めていくと、結局は自分の力を大きくしたい、大きな力を持ち続けたいという人間の果てしない欲望が、周りを巻き込み、国どうしの戦争を引き起こし、人の命を奪っているのではないか。しかし、それが遊牧民の宿命だと考えるのはあまりに悲しいではないか。もしかすると、二千年もの間、数多(あまた)の王朝が興亡を繰り返してきた中原(ちゅうげん)(黄河流域)の王族たちだって、同じことではないのだろうか……。
 ここまで考えて、リョウはわからなくなった。葡萄酒が回ったのだろうか、なんだか考えれば考えるほど、ぐるぐると同じところを巡ってしまうなと思いつつ、リョウは重たくなった瞼を閉じた。
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