(四)

文字数 1,171文字

 その年の夏祭りは、ビュクダグが参加し、いつも以上に賑やかに行われた。しかし、リョウには昨年までのような華やいだ気持ちは湧いてこなかった。それは、戦雲の影のせいばかりではなく、シメンがそこに居ないこと、そして夏祭りに毎年来ていたソグド人の芸能屋、(あん)椎雀(ついじゃく)の姿が見えなかったからだ。安からシメンの様子を聞けると思っていたリョウは、がっかりした。

 夏が過ぎようとした頃から、南西の草原を中心に、ウイグルとの戦闘が増えてきていた。
 突厥の可汗は、唐との和親策も、騎馬民族どうしでの連携策も捨てて、ウイグル・カルルク連合軍に決戦を挑むという決断をした。昨年来、何回も略奪されてきた国境地帯の部族の憎悪が後押ししたが、可汗自ら決断したというよりは、王忠嗣の策略とそれに乗ったウイグル、カルルクに、そうせざるを得ないように追い込まれたというのが、もっぱらの噂だった。

 せわしない日々の中でも、リョウは、ときどき(てい)と会っていた。悦おばさんから、婷に突厥語を教えてやれと言われたからだった。それは、二人をどうにかしたいという悦おばさんのお節介だとわかってはいても、リョウには戦闘のことを忘れられる楽しい時間だった。
「羊毛は編めるようになったから、今はフェルト作りを習っているの。私は、農家で育ったから、畑仕事はできるけど、羊のことは全然わからなくて」
「羊は、突厥語では“コユン”だよ」
「それじゃ、戦で死んだコユンの名前は、羊という意味だったのね」
「そうなんだ。あいつは、根っからの羊飼いだった。本当は戦なんか行きたくなかったんだ」
 婷が、悲し気に首を(かし)げた。少し色黒で、いかにも働き者という感じの婷の顔が、リョウは好きだった。
「私の名前は、村の寺でつけてもらったの。名前のように、優しい子になりなさいって、いつも母が言っていた」
「“婷”は、女性の美しいようすを表す漢字だよ。優しさは心の美しさで、その内面が女性の美しさとして現れる、お母さんは、そう言いたかったんだろうね」
「突厥語では何ていうのかしら」
「女性の美しいさまは“グゼル”でいいと思う」
「ふ~ん、グゼルもいい響きね。これからは、グゼルって呼んでもらおうかな」
 そう言って、婷はカラカラと笑った。嫌味のない、素直な笑い声に、リョウは好感を持った。

 そして、話題が途切れると、婷は決まって農民の子守唄を口ずさむのだった。
  ♬春が来~れば 種を蒔く
    夏が来~れば 草を取る 
     いつでもあなたは 背で眠る
  ♬秋にな~れば 鬼が来る
    (いと)しい(ひ~と)よ さようなら
     それでも泣~くな 背で眠れ 

 哀し気な音調の子守唄だった。婷は弟妹の子守をしていたのだろうか、それとも子守として働かされていたのだろうか。まだ立ち入ったことは聞けないけれど、少しずつ、婷のことを知りたいとリョウは思った。
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