(三)

文字数 1,441文字

「そう言えば、お主はどうやってソグド語を習ったのかな」
「子供のころ、ソグド商人と付き合いのあった祖父が、面白半分に私にソグド語を習わせたのです。でも、何とか話せるようになったのは、ここでこうして隊商の方々をお世話するようになってからです」
 リョウは多少の嘘を交えて話した。まだ本当のことを言うのは早い、と頭のどこかが言っていた。しかし康佇維は、それ以上は突っ込まず、その少年が今はなぜ突厥の奴隷になっているかは聞かなかった。
 母に似ていると言われるリョウの顔は、漢人の色が濃かった。たくさんの漢人が、戦争捕虜として、あるいは逃亡農民や逃亡奴隷として、突厥の集落で暮らしている。それが、この辺りでは当たりまえのことだったからだろう。リョウは木の杯に残っていた葡萄酒を全部飲み干した。
「おいおい、これは馬乳酒とは違って強い酒なんだから、そんなに慌てて飲むと酔っぱらってしまうぞ」
 そう言いながらも、康佇維は、二杯目の葡萄酒をリョウの杯に注いでくれた。

「この葡萄酒は粛州のものだと言ってましたが、粛州から長安に行くなら、涼州を通る道の方が近いのに、なぜこの北の草原まで遠回りしているのですか」
「商売というのはな、物を仕入れて、それに利をつけて売る。利幅は大きくなくても、それを何回も繰り返すことによって、利益を大きくするものなのだ。それでこそ、売る方も買う方も満足できる。遠くから物を運んで来て売るだけなら、利幅が大きくないと(もう)からないが、それでは値が高くて買ってもらえない。だから、あちこちに寄りながら、そこで仕入れたものを次の村で売る、ということをしているのだ」
「それでは、西域のものは運んでないのですか。主人が珍しいものを見られるのではないかと、楽しみにしていましたが」
「軽くて高価なものは、遠くに運んでも儲けられる。だから西域の宝石や硝子(がらす)の器、織物なんかはあるから、お主の主人には明日にでも見てもらおう。そちらにも、巻狩りの毛皮がたっぷりあるということだから、良い商いができるのではないかな」

 リョウは、父もこうして隊商を率いていたのだろうかと想いを巡らした。そう言えば、旅に出るときの父は、康佇維と同じように、武人の恰好をしていた。
「康隊長は、さっき来た時には(よろい)や剣を身に付けていましたが、やはり高価な物があるので、盗賊に襲われたときのためですか」
「かつては、通過する国の敵国の軍隊に襲われたりしたものだ。だから隊商は、他の隊商と一緒になって、武人も多く抱えて大人数で移動するようになり、総勢二百人を超えることもあった。ただ最近は、大きな戦乱も無く、わしらは突厥の通行証も、唐の通行証も持っている。だから、少人数の隊商でもめったやたらと襲われることはない。なにせ行く先々で通行税まで支払っているのだから、それを襲ったりしたら、その盗賊は両方の軍隊に追われることになるからな。それでも、ときどきは、はぐれ者が襲ってきたりするので、ああして武装もしているのだ。ソグド人の親は、子が生まれるとその手に金貨を握らせて商売繁盛を祈るが、同時に、早くから馬や弓を習わせて武人としても育てるのだよ」

 本当は父もそうしたかったのではないか。唐の石屋の娘である母が反対したのか、あるいは長安ではとてもそんな育て方をできなかったのか。そう言えば、長安を追われて失意の中、草原で暮らし始めた時の方が、なぜか父の表情は明るかったような気がする。そして、自分もそこで、存分に馬や弓の稽古ができたのだった。

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