(三)

文字数 1,612文字

 リョウは、自分が知らせるまでもなく、父たちが異変に対応していることに少し安心したが、一方で自分が異変を察知して一目散に駆けてきたことを、父に()めてもらえないことに少しがっかりした。それでも、いつも父から何かあったときにはそうしろと教えられていたように、急いで矢筒を背負い、短弓を手にした。まだ父のようにがっしりした体躯にはなっていないが、背丈は父の肩の高さほどに伸びたリョウは、大人と同じ短弓を使っている。腰に茶色の革帯をしっかり巻き付けると、大人たちの輪の中に走っていった。
 この革帯には、六本の短い石鑿(いしのみ)が差し込まれている。それは石屋の仕事道具である石鑿を細身に加工して武器として使えるようにしたもので、敵に向かって投げる飛刀の一種である。祖父の一族が、昔から、戦に招集されたときには着用していたものだという。リョウも小さい頃から、祖父の家の庭で石鑿を的に投げて遊んでおり、この革帯と石鑿は長安を離れるときに祖父から贈られたもので、とても大事にしていた。ここの草原の暮らしの中でも、リョウはよくこの石鑿を取り出しては、離れた木に向かって投げる練習をしていた。

 砂塵をあげて近づいてきた騎馬軍団の十数騎は、その軍装から漢人部隊であることが分かった。後方からは、唐軍のものと思われる旗を掲げた、(かち)の兵も走って来ている。
「俺が話を聞いてくる」
 アクリイが前に出ていくと、隊長らしき者が声をかけてきた。
「ここにソグド人商人の康憶嶺が居ると聞いた。居れば出てくるように」
「それは私のことですが、いったい何のご用でしょうか?」
 それを聞いた隊長が部下に目配せすると、屈強な二人の男が馬から降りてきて、問答無用とばかりに、いきなりアクリイの両腕を取って後ろに回すと、身体を押さえつけて(ひざまず)かせた。
「何をする」
 そのアクリイの言葉には答えず、隊長は部下たちに命じた。
「あとの者に用はない、皆殺しにして村を焼き払え」
 (よろい)(かぶと)で完全武装した兵たちは、後ろで見ていたリョウたちに向かって、一斉に馬上から矢を放ってきた。防御の陣形は取っていたものの、まさか正規の漢人部隊が理由もなくいきなり攻撃してくるとは考えていなかった大人たちは、慌てて荷車の陰に身を隠した。それでも何人かは矢傷を負ったようで、うめき声が上がっていた。

 百戦錬磨のアクリイは、放たれた矢の先に眼をやった敵の、一瞬の隙を見逃さなかった。そっと片膝(かたひざ)を立て、いったん少しだけ身体を前に倒すと、(ひざ)(もも)の反動を使って思いっきり地面を蹴り、右肩に全体重をかけて右後ろの敵にぶつけた。たまらずほどかれた右手の(こぶし)を、身体をねじりながら左の敵の喉元に食い込ませると、すぐさまその腕を右に振り、立ち直った後ろの敵に強烈な(ひじ)打ちを食わせた。

 それは、リョウには瞬きをする間のようだった。初めて目の当たりにする父の実戦に感動を覚えた。同時に、降り注ぐ矢に恐怖も覚えた。面と向かって矢を射かけられるのは初めての経験で、思わず眼を(つむ)ってその場に(うずくま)りたい衝動に襲われた。だが、こちらに走ってくる父の背に敵の矢が刺さっているのを見ると、腹の底から父を呼ぶ声が湧いてきて、無我夢中で弓に矢をつがえ、敵に向かって放ち始めた。
 荷車の陰まで駆け戻ったアクリイの背中の矢は、鎧のおかげで深手ではないようだった。その矢を引き抜きながらアクリイが言った。
「奴らは正規軍なんかではない。俺を捕らえて殺すのが目的だろうが、家族にも容赦はしない。何とか時間を稼いで、その間に皆を逃がすのだ」 
 荷車には矢がたっぷり積んであり、敵の矢が尽きるまでは持ちこたえそうだった。騎兵と言っても、漢人部隊は走りながらの騎射を得意としない。遊牧民との戦も経験しているアクリイたちにとって、その攻撃は生ぬるいものであったが、いずれ矢は尽き、追い付いた歩兵も突進してくるだろう。そうなると多勢に無勢、それまでの少しの間の時間稼ぎに過ぎなかった。
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