(三)

文字数 1,580文字

 「ネケル」とは、もともとは「友人」の意味であるが、軍事上は、命に代えて主人を守ると誓った腹心集団のことだ。本来は、王の親衛軍団の隊長たちのことであるが、それぞれの部族でも、部族長のもとに似たような腹心集団を養成しているのだ、とドムズが教えてくれた。その腹心には、適任と見れば奴隷からでも抜擢することが、この遊牧民族の開放性と柔軟性を示している、とリョウは感じた。
 しかし、ネケルになるということは、いつかは突厥の、あるいはアユンの盾になり、捨て石になるということである。突厥人ではない自分に、そんなことを期待されてもと思ったが、遊牧民の考えることは、唐での価値観とは全く異なるようだった。ネケルに指名されて以後、リョウはアユンの世話はするが、アユンと同じものを食べ、アユンの近くのゲルで他のネケルと一緒に寝起きすることになった。
 食事の世話も、それまでの悦おばさんではなく、ゲイックの妻やアユンの姉と妹がみてくれる。それは、以前からネケルに指名されていたテペもクッシも同じだった。あたかもアユンの兄弟のように育てられることになったが、これは主人と緊密な連帯感を持たせて、その分身のような家来を育成するため、ということらしい。しかしよく考えてみれば、いずれ死なせるために育てているのであり、それでは羊や馬と同じではないかと思うこともあった。

 リョウは、誓約式でゲイックが言った「言語能力は武器」という言葉に感動したことを、その後もときどき思い返していた。ただひたすら羊を追い、必要とあらば戦争に駆り出され、時には略奪も辞さない突厥の集団も、実は、様々な方法で情報を収集し、自分たちの命と暮らしを守るために活動している。自分が思っていたよりも、ずうっと理知的な生き方をしている遊牧民の賢さを見る思いだった。
 それに引き換え、いったい自分は何者なのか、誰のために働き、生きて行けばよいのか、そう自問自答することもあった。自分は漢人とソグド人の間に生まれ、漢語とソグド語と突厥語を話し、突厥の部族長の息子の直属の武人として訓練を受けている。まるで、根無し草のような存在ではないか。この上、唐との戦に加わることにでもなれば、母が生まれ、自分も育った国と敵対することになる。でも、父母も自分もシメンも、その唐の都、長安から締め出され、挙句の果てに唐の軍隊に襲われたではないか。
 考えれば考えるほどに、自分の存在そのものがあやふやになる思いに、リョウは胸が(ふさ)いだ。でも、そんな自分を、部族長の跡取りの部下にするという。この人たちは、俺が逃げたり、裏切ったりすることを心配しないのだろうか、そう思ったときに、はたと気が付いた。
 この人たちは、そもそも遊牧民であり、定住せずに暮らしていくことを、生きる喜びとしている。それこそ、この人たち自身が根無し草なのではないか。
 リョウは、かつて石刻のために木造の小屋を作ったが、皆笑って見ているだけだった。地面に固定されたものには興味が無いのだ。ゲルに住み、羊の食べる草が無くなれば草のある場所にゲルごと移動し、冬になれば比較的温暖な地に移動する。そうして、一年中、羊と共に果てしない天と地を見て暮らしている。守るべき家族や暮らしがそこにある。自分のように不安になることも無く、その日々を受け入れ、そうして生きていくことで幸せを感じている。
 人々は、家族や部族を単位として暮らしており、権力者に(わずら)わされるということもない。戦のために百人隊長や千人隊長もいるし、そのはるか上には貴族や王族と呼ばれる人たちもいるが、王様でも唐のような城や宮殿に住むことはなく、ゲルで寝泊まりしている。町の役人が威張っていた長安での暮らしとは大違いだった。
 もしかしたら、根無し草でも良いのではないか、そんな気持ちがリョウの中にも少しだけ芽生えてきていた。
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