(十)

文字数 1,507文字

 それはリョウもずうっと考えてきたことだった。このままの生活が続くはずがない、と。
暮らしていた集落を突然正体不明の部隊に襲われ、父母が傷つき、妹とふたり、命からがら逃げて来た。そのときは、偶然に連れてこられたここでの奴隷生活も、命があるだけましだと思った。だけど、この先はどうなるというのか。このまま、重労働の日々を重ね、いつか病に倒れたら野に捨てられてしまうのだろうか。ここから抜け出すことなんてできるんだろうかと。
「王爺さんは、いつか、生き延びたいなら、人にはできないことを身に付けろと教えてくれました。何かの役に立つから生かされている、ということでしょうか」
「そういうことだ。奴隷は貴重な生産手段であり、また商品にもなる。考えてもみなさい。主人から言いつけられたことを、自分で頭を働かせてこなす奴隷は、馬よりも牛よりも優れた生産手段だ。だから、それなりに大事に扱われる。女であれば、いつかは商品として売りに出される。お前の妹もそうだ。そしていざ戦争ともなれば、真っ先に死なせられる戦闘員にもなる。リョウも、間もなく戦闘訓練を受けることになるだろう」

 今日の王爺さんは多弁だった。自分で馬乳酒を注ぎ足すと、思いをリョウに吐き出すように続けた。
「しかし、そんなことは大したことではない。唐の農民だって似たり寄ったりだ。奴隷と自由人の決定的な違いはな、奴隷は人ではなくモノであるということだ。だから、自分の意思さえ持たなければ、生かされ何とか暮らしていくことはできるし、結婚して子供を持つことさえできる。奴隷を増やすことになるからな。しかし、自分の意思を持った途端に殺されることさえある、ということを忘れてはいかん。奴隷はモノだから、主人が殺しても誰も(とが)めない」
 そして最後にこう付け加えた。
「わしはここではもう用無しだ。漢人には老人を敬うという文化があるが、この遊牧民族の世界にはないから、いつ野垂れ死んでもおかしくない。お前がわしを先生として接してくれることが、わしにはとても嬉しいのだよ」

 それからも、リョウが漢字を習いに行くたびに、王爺さんは奴隷としてのわきまえ方をリョウに語ってくれた。ゲイックの言うとおりにしていることだ、何か言って機嫌を損ねたりしたら、北方のもっとひどい所にたたき売られる、だから従順に、そして人にはできない能力を伸ばすことだ、下を見ればきりがない、上を見てもきりがない、今の境遇を受け入れることだ、というようなことだった。
 王爺さんは、リョウのためにそういうことをいろいろ教えてくれるのだろうが、そのまま聞いていたら、根性まで生まれながらの奴隷になってしまう、そんなことにはなりたくない、とリョウは思った。

 あるとき王爺さんは、妹のシメンのことを気にして、こんなことも言った。
「奴隷はモノだから、女だったらまず高値で売ることを考える。その前に、主人が手籠(てご)めにすることもある。それで、子どもができたって、よほどお気に入りの女でない限り、堕胎(おろ)させられるだけだ。奴隷どうしを結婚させて、奴隷を再生産するのも、モノと考えれば当たり前だし、むしろ子供もできないと、ひたすら働き詰めの一生で終わる……」
 そう言った王爺さんの顔が曇り、リョウには、その後に「……悦のように」と言っているように感じられた。今も独り身の娘は、どんなつらい目にあってきたのだろうか。嫌な話だったが、王爺さんに悪気があるわけではないことは、リョウにもわかっていた。シメンにもいずれそういう日が来るのだから、心の準備をしておけということなのだろう。しかし、シメンにはいったいどう話したら良いのか、リョウにはわからなかった。
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