(八)

文字数 1,729文字

 怒り狂うゲイックをドムズやアユンに任せて、リョウは、奴隷兵士たちを連れて馬に乗り、丘の上に横たわるコユンの遺体の元に向かった。空はすでに(あかね)色に染まり、北からの風は、間もなく訪れる冬の寒さを一足早く草原に運んで来ていた。

 石の輪の中に横たえられたコユンの遺体の傍らに、皆で(ひざまず)き、瞑目(めいもく)した。野晒(のざらし)にされた遺体は、やがて動物に喰われ、鳥に(ついば)まれ、土に戻って行く。リョウが、コユンの顔にそっと触れた。
「コユン、よく頑張ったな……、ありがとう。お前は、一生、羊飼いとして暮らしたいって、言ってたな……、すまなかった。それに、お前は、戦で人を殺すのも、殺されるのも怖いって、言ってたな。俺たちも、みんな、怖かったんだよ」
 オドンがその大きな肩を震わせて、持ってきた弓をコユンの手に握らせた。
「コユン、やっぱり、弓の腕はお前が一番だったな。俺はお前には負けたよ。この弓を持って行ってくれ。デビは、ここに連れて来られなかった。デビの魂が迷わないように、お前が一緒に連れて行ってくれ」
 バズもカルも、他の奴隷たちも、すすり泣いていた。

 いつの間にか、ドムズとアユンが後ろに来ていた。アユンも馬を降り、跪いて瞑目した。
「コユン、お前が俺の危ない所を助けてくれたこと、忘れないからな」
 ドムズが馬上から大声を出した。
「めそめそするな、これが戦争というものだ。コユンは、もう奴隷ではないから、葬儀も他の兵士と同じにしてやった。お前たちは、初陣にしては良くやった。さあ、帰るぞ」

 立ち上がったリョウに近づいてきたドムズは、馬を降りると、両手を大きく上げた。いつもドムズに張り倒されているリョウは、「またか」と一瞬身を引きかけたが、そのリョウの両肩に、ドムズは大きな両手をドンと乗せた。
「リョウ、グネスに聞いたぞ。こんどの戦では、お前の情報や判断が、負け戦にならなかった決め手だったとな。良くやった」
 そう言いながら、自分の馬の手綱をリョウに渡した。グクルだった。
「褒美に、この馬を、お前にやろう」
 それだけ言って、自分はリョウが乗ってきた馬に乗り、アユンを促してさっさと帰ってしまった。
 
 バズが、グクルの馬体をポンポン叩きながらリョウを見た。
「リョウは、あれだけの手柄をあげたのに、褒美は、茶色の馬がこの赤褐色の馬に代わっただけなんだな」
 オドンがしみじみと言った。
「生き延びれば、いつか自由が得られるってリョウは言ったよな。でも、コユンは死ぬことで奴隷ではなくなった。結局俺たちは、死ななきゃ奴隷から抜け出せないってことだよな」

 返す言葉もなく、リョウはグクルの黒いたてがみを撫で続けた。グクルは、リョウに甘えるように、その鼻面(はなづら)をリョウに押し付けてきた。言いすぎたと思ったのか、オドンが皆を見渡した。
「でも、リョウは俺たちの命を守ってくれた。約束を守ってくれたんだ」
 その言葉を聞いて、それまで泣かずに我慢していたリョウの両眼から、涙があふれ出てきた。
「俺は……、デビとコユンとの約束を守れなかった。すまない……、許してくれ」

 気を(つか)ったつもりの言葉が、意に反してリョウに追い打ちをかけてしまったオドンが、慌てて「リョウは、悪くない」とか、いろいろ言って慰め、他の仲間もリョウの肩を抱いた。オドンが、グクルの方を指差した。
「おい、みんな、知ってるか?ドムズは偉そうなことを言ってたけど、この馬はもともとリョウの馬を取り上げたものなんだぞ」
「なんだ、そりゃ。それじゃあ、褒美でもなんでもないじゃないか」
 バズの声に、皆が少し笑い、普段は言えないドムズへの悪口をてんでに言い始めた。リョウは、それが自分への皆の気遣いであることを知っていた。
 ようやく気持ちが収まり、皆でコユンに最後の別れを告げ、グクルに乗っての帰り道、リョウは思った。
――まったくオドンの言うとおりだよな。グクルはやっと俺の所に戻ってきたんだ。シメンも、きっと喜んでくれる。

 今までの馬よりは、少し背の高いグクルに乗ると、リョウは、自分も少しだけ大きくなったような気がした。並足から駈足に切り替えて走るリョウとグクルに、草原の冷たい向かい風が容赦なく吹き付けてくるが、それは頬の涙の跡を(ぬぐ)い去ってくれる風でもあった。
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