(二)

文字数 1,325文字

 演習の初日、各地からの部隊は緩い丘陵に挟まれた広い草原に集合した。
 鎧兜(よろいかぶと)の兵士を乗せた馬群は、百人隊ごとに横十頭、縦十頭の方形陣を作って整列させられた。その百頭の部隊が十個、合計千頭の騎馬が、青空の下、草原に勢ぞろいする眺めは壮観で、これが万騎、いや十万騎にもなったらどんな眺めになるのだろうかと、リョウは想像を膨らませた。
 しかし、いざ訓練が始まり、千騎が一斉に左右に広がりながら走り始めると、自分の前後左右に無数の馬が走る中で、隊列を崩さないようゲイック・イルキンの部隊と離れずに一団で行動することは想像以上に難しく、ゲイックの親衛隊の兵士が背負う旗だけを、必死に追いかけるのがやっとという感じだった。

 その後も、丘の上で旗を振る指揮官の合図と太鼓の音に合わせて、全力で馬を走らせ、左右に方向転換し、あるいは素早く引き返すという訓練を繰り返しさせられた。
 それは馬の乗り手である「人の訓練」であると同時に、馬が戦場での騒音に怖気(おじけ)づかないようにするための「馬の訓練」でもあった。今回は、グクルもドムズを乗せて参加している。
 軍馬といわれるようになるには、音だけでなく、多少の衝突や傷にもひるまず、乗り手の指示に従うようにしなければならず、それ相応の訓練が必要になる。しかも遠征に出る場合、兵士一人で三頭の馬を連れて乗り換えながら行くので、兵士の数の三倍の馬を訓練する必要がある。起伏のある固い沙漠や丘陵をたっぷりと走らせることは、馬の(ひづめ)や筋肉を鍛えるためにも有効だった。

 ただ走るだけでなく、草原に並べた古い兵車に土嚢(どのう)をぶら下げ、それを的にした騎射の訓練も行われた。騎馬遊牧民にとっての最大の武器は、何と言っても馬の敏捷な機動力と騎射である。兵士たちは、馬をどの方角にでも瞬時に向かわせ、疾駆する馬に乗ったまま前後左右のどの方向にも射ることができるように訓練されている。
 リョウも、かつて父母と暮らした草原で、見よう見まねで馬上から動物を射ていたころとは別物の技を身に着けていた。軍事訓練を受ける前は、騎射ができるといっても、馬の揺れで狙いが定まらないことが多かった。しかし今は、両足の裏全体で(あぶみ)を強く踏み込み、身体を少し浮かせ、(へそ)を下に向けて腰を据え、上体をまっすぐに伸ばした姿勢で正確に矢を放つことができるようになってきていた。そうしないと、正確性だけでなく、矢の貫通力も強くならないのだった。
 弓で敵を攻撃するには、離れた場所から大量の矢を浴びせる長弓戦法と、機動力を活かして敵の至近距離に迫り、矢を射たらすぐにその場を離れる短弓戦法がある。どちらも状況によって使い分けるが、特に接近戦の場合は、落馬は死を意味する。また、矢も正確に鎧や兜の隙間を狙って放つ必要がある。馬と人が呼吸を合わせ、一つになってこそできる技だった。

 その後には、百人隊ごとに、向かい合った相手の百人隊に突撃し、交錯しながら槍を振るう訓練も行われた。ここで使われているのは穂先に刃の代わりに布を巻いた訓練用の棒ではあるが、突かれれば落馬もするし、怪我もする。喚声を上げながら、馬も人も、向かってくる相手を恐れずに突っ込んでいけるよう、何度も繰り返し突撃訓練が行われた。
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