(二)

文字数 1,183文字

 冬を迎える前の大事な仕事に、家畜の屠殺(とさつ)があった。
 遊牧民であっても、夏や秋には、自分たちが食べるために羊や牛を屠殺するということは、祭りなどの特別な場合を除けばあまりない。普段は死んだ家畜の肉や、狩りで獲った兎の肉などを食べて過ごしている。
 そして、秋の終わりになると、たくさん草を食べて家畜が肥えているうちに、冬の食料として屠殺し、凍らせたり、レンガ造りの小屋に干して、干し肉にしたりするのだ。
 これは人のための保存食を作るという意味もあるが、同時に、家畜の数を減らして、残った羊や牛が無事に冬を越えられるようにするためでもあった。冬営地の周囲にわずかに残った枯れ草や、秋に準備した干し草だけでは、生き延びられる家畜の数は限られているからだ。
 その点、馬は雪に覆われた草地の氷を(ひづめ)で割って、草を食むことができるので、手間がかからないのだと張が教えてくれた。そう言えば、長安では馬には飼葉(かいば)を与えるが、ここの馬には、自然に生えている草しか食べさせていないなと、リョウは今更ながらに気が付いた。

 リョウも、長安の北の草原で家族と一緒に暮らしていた頃から、何度か屠殺の様子を見ることがあった。頸動脈を切り裂かれて血を噴き出した羊を見るのは、はじめあまり気持ちの良いものではなかったが、生活に必要なものだし、おいしい肉にありつけることもあり、何度もやっているうちに解体の作業には慣れてきていた。しかし、ここの遊牧民の屠殺の方法は、まったく違っていた。
 屠殺は遊牧民の大事な仕事であり、命を頂くという大事な儀式でもある。このため、それぞれの家長が自ら行うのだが、初めて見たそれは、一瞬の早業(はやわざ)のようだった。足をつかんで仰向けにした羊の胸をサッと切り裂き、そこに手を差し込んで心臓の血管を指で引きちぎると、羊は声も上げずに息絶えた。それから皮を小刀で丁寧に剥ぎ取り、頭部と脚を外して解体していく。
 ここからは、家族やその家の奴隷も手伝うのだが、地面を汚さないようにと体内に溜めていた血は桶に集めて腸詰にし、骨から外した肉は保存用に、骨に付いた肉は煮物に、そして内臓も塩に漬けて保存食にと、皮から内臓まで一つも無駄にしないよう処理するのだった。
 皮を()ぐために脚をつかんで広げたり、解体した肉や骨、血の桶を運んだりというのは、女子供も手伝った。遊牧民の子供は、小さな時から屠殺の様子を間近で見て育っており、それはごく普通の生活の一部であった。
 リョウも、一日に何頭もの屠殺に立ち会ううちに、ただ作業をするというよりは、天への感謝を示す大事な儀式であるという、遊牧民の気持ちに共感できるようになってきていた。それにしても、女であるシメンが平気な顔で、屠殺とその後の処理の仕事を手伝っているのを見て、リョウは、シメンには父親の遊牧民の血が、自分より濃く流れているのではないかと思った。
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