(一)

文字数 1,457文字

 (おう)忠嗣(ちゅうし)の別動隊への奇襲の後、両軍はそれぞれに冬営地に向かった。冬の間は、戦どころではないのである。リョウの配下の奴隷兵士たちも、越冬の準備に忙しく働き、武術の訓練はしばし休みとなった。
 毛皮を売ったり、越冬中の日用品を買ったりするため、唐の村落との交易は定期的に続いていて、最近ではリョウが独り立ちしたので、張と交代で行くことが多くなっていた。

 そんなある日、リョウは、(つる)で作った(かご)を売っている農婦から、アトに買われていった(てい)は、今どうしているかと訊ねられた。農婦は婷を子供の頃から知っていて、両親が亡くなり借金のかたに売られた婷を心配していたのだと言った。
 婷はそんなことは一言も教えてくれなかったなと思いながら、リョウは婷への土産に、小さな蔓の籠を一つ、農婦から買ってやった。そのリョウが首に巻いているのは、婷が編んでくれた羊毛の襟巻だった。

 雪がちらほら舞い始めた頃、新たに昇進する者たちの名が、ゲイック・イルキンから発表され、アユンは正式に百人隊長に任命された。初陣となった奇襲戦では、「百人の兵士の隊長」としてグネスにも助けられながら指揮をとった。それと「百人隊長」は全く別もので、「百人隊長」に任ぜられるということは、軍隊組織の中での階級としての「百人隊長」になるということであった。だから、これからはたとえ一人であっても、アユンは「百人隊長」なのである。
 
 叙任式で、ゲイック・イルキが新たに百人隊長や、副隊長に任ぜられた者たちを前に訓示した。
「お前たちは、今日から人の命を預かる隊長となった。戦に勝つため、そして預かった兵士の命を守るために、兵士をよく鍛え、自らもしっかり修練を積むように。忘れないで欲しい、いざという時には自ら考え、正しい判断をするということが、上の階級に立つ者の務めである。それは預かった兵士の命を守るということである。そうではなく、自分の栄誉や欲あるいは恐怖のために、正しい判断ができずに兵士を死地に追いやる者は、将としては失格である」

 リョウは、ゲイックの話した「階級」の持つ意味に瞠目した。
 遊牧騎馬民族の軍隊編成は、伝統的に百人隊、千人隊、万人隊と、十進法を基本とする。軍事では、上からの命令は絶対である。だからリョウも、ドムズからよく「余計なことは考えるな」とどやされたものだった。しかし、現実の戦ではいつだって想定外のことが起こり得る。戦況が変わり、受けた命令が不合理となり、かつ新しい命令も届かないかもしれない。そんな予期せぬ事態が生じた時、「百人隊長」は、独自の判断で配下の百人を動かす権限を持つということだ。同様に、「千人隊長」は、独自の判断で配下の千人を動かすよう命じることができるのだろう。

 でも待てよ、とリョウはさらに考えた。ということはつまり、独自に判断して配下を動かしても、それが上手くいけば、百人隊長の責任を果たしたことになり、責められない。しかし、失敗すれば、その独自の判断は単なる命令違反になってしまうということではないのか。どっちにしても結果論で、勝てば褒賞、負ければ罰せられるというのが、隊長というものが背負う宿命なのかもしれない。では、その戦を指揮する千人隊長、さらには戦を命じた万人隊長や可汗の責任はどうなるのか。
 しかしリョウの思考はそこで止まってしまった。おそらくそれを考えることは、身分不相応であり、自分のような奴隷は、それを口に出したとたんに首を刎ねられるのだろう。危険を察知する本能が、リョウの心の動きまで慎重にさせていた。
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