(一)

文字数 1,380文字

 アユンのネケルとして軍事訓練に励み、アトが唐の村落へ交易に行くときには通訳として付いて行く。それ以外の時は、農作業や牧畜を手伝い、少しでも時間が空けば王爺さんの言いつけを守って漢字の練習と石刻に(いそ)しむ。そんな生活がもう一年ほど続き、リョウは十六歳になっていた。
 唐の村では、雑貨を扱う商人や、農作物を売りに来る農民、あるいはソグド商人などとも、努めて会話をするようにしていた。ゲイックに報告するためである。リョウが持ち前の明るさで、気さくに話しかけるものだから、なじみとなった商人らは、暇つぶしにさまざまな噂話を聞かせてくれた。

 彼らが言うには、唐の国は豊かさを享受しているように見えるが、貨幣が行き渡る中で絹布(けんぷ)の値段が暴落して混乱している、あるいは穀物が豊作なのは良いが、その実、農民は豊作貧乏で、多くの農民が都市に逃げ出しているとか、さすがに、あちこち行き来している情報通だけのことはある、という話が多かった。
 その中でも、最近、彼らが最も面白おかしく話してくれるのは、唐の皇帝(玄宗)が絶世の美女をお側に召したという話だった。その美女は道教の道士ということになっているが、実は皇帝の皇子(こうし)である寿王の妃で、それを皇帝が(よこ)恋慕(れんぼ)して取り上げたというようなことだった。道士、つまり道教の僧に仕立てたのは、息子の嫁を取り上げることの世間体の悪さを気にしたからで、その名は(よう)玉環(ぎょくかん)というのだが、いずれ正式に妃になれば楊貴妃(ようきひ)と呼ばれるだろうという。
 リョウは、そんな噂話まで、聞いた話はできるだけ、間違わずにゲイックに伝えるためにせっせと記録した。情報係となったリョウには、今では、わずかではあるが貴重な紙の使用も許されていたのだ。

 夏が近づいてきた頃、ビュクダグ・イルテベル傘下の部族が集合して、合同軍事演習が行われることになった。ビュクダグはゲイック・イルキンと同じ千人隊長ではあるが、同時に万人隊長の阿史那(あしな)胆栄(たんえい)から左翼四千の部隊の訓練や指揮を任された、格上の存在であった。
 演習は集落から北へ馬で三日ほどの山麓にある草原で行わる。ゲイックの千人隊からも二百騎を派遣するよう指示があり、リョウもアユンに従って参加することになった。ほかには、ビュクダグの親衛隊から百、ビュクダグの副官ティルキが指揮する四百、クルト・イルキンの部隊から二百、森の狩猟民族であるバルタ隊から百の、総勢千騎による訓練である。クルト・イルキンというのは、夏祭りの馬競争でアユンと争ったカプランの父親であることにリョウは気付いた。

 今の王から三代前の毘伽可汗(ビルゲ・カガン)が、唐の皇帝(玄宗)との間で和親政策を取ったことから、突厥(とっくつ)の草原には二十年近く平穏な日々が続いており、軍事演習もあまり熱心には行われていなかった。しかしビルゲ・カガンが数年前に大臣に毒殺されてからは、王族間の内紛が続き、その支配体制は弱体化し、唐や南西のウイグルなどが虎視(こし)眈々(たんたん)とその(すき)を狙っているのだと、アトが教えてくれた。
 リョウも、昨年ネケルに指名されて以来、アトに付いて漢人の商人やソグド商人との商談に交じることが許されていたので、戦雲が南と西の両方から徐々に近づいてきていることは感づいていた。そういう情勢を反映して、最近は部族ごとの武術の訓練に加えて、こうした合同の軍事演習の回数も増えてきていたのだった。
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