(五)

文字数 1,637文字

 それまでリョウと康円汕の話を聞きながら葡萄酒を飲んでいた康佇維が、話に入ってきた。
「唐と周辺の遊牧騎馬民族は、戦いと平和共存を繰り返してきた。隋や唐だって、元を正せば遊牧騎馬民族の集団が中核となって、遊牧民と漢人農耕民とを合体させて建国したものだ。だから、民族の戦いというよりは、結局は誰がより強い力を持っているかということでの争いだ。
 争いを好むのは一部の権力者とその取り巻きだけで、他の誰の得にもならない。権力を正しいことに使っているうちは、国は安定するが、自分の権威を守るために使い始めると国が乱れる。唐という国は、根っこのところではそれが分かっていて、初めは武力で征服しても、その後には様々な言語や民族、宗教を受け入れて平和共存を図ってきた。それが唐の繁栄をもたらしたのだ」
「それなのにどうして、またきな臭いことになっているのですか。突厥の内紛は突厥だけの話では済まないのでしょうか」
「力の均衡が崩れてくると、そこには必ず欲を出す人間がでてくる。今の皇帝(玄宗)も、即位後三十年近く経ち、朝廷自体の(たが)が緩み始めている。そこに来て、ここ十年は大飢饉(ききん)に襲われて長安から洛陽に脱出したり、徴兵制が保てずに国境沿いの軍鎮(軍の部隊)では少数民族の応募兵ばかりが増えてきたりと、自らきな臭さを呼び寄せているようなものだ」
「大飢饉の話は、私も子供心に覚えています。皇帝が、家来を引き連れて洛陽に移ったということで、母の実家の石屋も、食料の確保やひいきの貴族との取引のために、伯父が洛陽に移り、長安に残った祖父と手分けして両方の店をなんとか切り盛りしたそうです」
「そうだ、その頃から、唐の勢いが弱くなったのを見越して、吐蕃(とばん)(チベット)や契丹(きったん)も唐を挑発するようになった。内政ががたつくと、自分の地位を維持するために外を攻めるのは、いつの世でも常套(じょうとう)手段だ。だから唐は、(けい)契丹(きったん)を討つために大軍を派遣したものの、逆に大敗を喫して逃げ戻ってきた。それからというもの、北方や西方の遊牧騎馬民族がこぞって唐から受け取る貢物(みつぎもの)を増やそうと動き出した。わしらから見れば、平和な時こそ商売ができるのだが、中にはそういうドサクサで荒稼ぎしようとする商人も多い。唐の屋台骨がゆらゆらし始めているのだから、わしらと同じソグド商人でも、軍隊並みの兵士を養っている者もいるんだよ」
「そんなことをすると、唐のお役人から危ない集団とにらまれるのではないですか」
「いやいや、人は自分の力を増すためなら、なんだって利用する。唐の貴族もお気に入りのソグド商人やその私兵の力を頼りにするし、ソグド商人も貴族を利用して自分の商売をやりやすくしようとする」
 リョウは、いよいよ父と(かか)わりのある話が聞けるのではないかと期待したが、康佇維は酒瓶を逆さまに振って空になっているのを確かめると、「明日は遠出もするし、今日はもう寝るとしよう」と、ゲルに戻って行った。

 リョウも二人に「また明日」と声をかけながら立ち上がった。たった二杯しか飲んでないのに、少しふらついた。酒と言えば子供でも飲める馬乳酒しか知らなかったリョウには、初めて飲んだ葡萄酒は、少し強すぎるようだった。それでも気持ちが悪くなるほどには酔ってなく、むしろ久しぶりに楽しい気分だった。それは自分の血とつながるソグド商人と話したせいか、あるいは葡萄酒のせいかはわからないが、そんなことはどっちでも良かった。満天の星はその輝きを増し、まるでそれが初めて見る星空のように、美しいと思った。夜更けに吹き始めた冷たいはずの風も、頬に心地よかった。
 星を眺めながらフラフラと歩いていたリョウは、いつの間にか馬柵のところまで来ていた。いつものようにそこにグクルは居て近寄ってきたが、同じ場所にシメンは居ないことに思い当たると、その幸福感はあっという間にしぼんでしまった。この次は思い切って父のことを尋ねてみよう、リョウはそう思いながらグクルの頭を撫で、闇に立つ馬たちを眺めていた。
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