(五)

文字数 1,373文字

 父の背に隠れるようにしてゲルの外に出ると、弓矢の戦いは既に終わり、敵が荷車を乗り越えたり、岩山を越えたりして切り込んできていた。
「康憶嶺だけは生け捕りにしろ。あとは皆殺しだ」
 その声を聞いた父は、二人の眼を交互に見つめ、勇気づけるように笑みを浮かべると、大きく二度うなずいた。
「大丈夫だ、行け」
 二人の背を馬柵の方向に押しやると、父は刀を握り直して、乱戦の中に走り込んでいった。

 リョウはシメンの手を引き、ゲルの陰に隠れて敵から見つからないようにしながら、二頭の馬が残っている馬柵の方に少しずつ近づいていった。振り返ると、父がリョウたちを守るように、こちらに向かってくる敵と斬り結んでいるのが見えた。もう時間がないと察して、リョウはシメンに声をかけた。
「シメン、走るぞ。ヒズリに二人で乗っていく。グクルは父さんに残すんだ、いいな」

 シメンも、この草原に来てから馬に乗ることを覚えていた。もともと走ったり跳んだりすることが得意なシメンは、遊牧民の子らとさほど変わらず幼くして乗馬を覚えたので、今ではリョウにも劣らぬ乗り手であった。そのシメンが、父のためにグクルを残すというリョウの指示に首を振ると、泣き声で訴えた。
「それならヒズリを残して。ヒズリの方が速いから」
 馬の能力そのままに、一頭は“速い”という意味の“ヒズリ”、もう一頭は“強い”という意味の“グクル”と名付けられていた。二頭とも、まだ若い二歳馬で、リョウとシメンが仔馬の時から世話をしてきた馬だった。この切羽詰まった状況で、まだ涙が止まらないにもかかわらず、父母を気遣う幼い妹の提案に、リョウは驚きながらも即座に答えた。
「よし、グクルに乗るぞ、走れ!」
 
 馬柵に向かって走る二人の子供を見留(みと)めた敵の一人が、こちらに走り出していた。妹を励まして走るリョウには、馬柵までのわずかの距離が、とてつもなく遠く感じた。それでも柵の隙間から先に中に転がり込むと、立ち上がって自分を落ち着かせるように大きく一度深呼吸した。
 飼い慣らした二頭の馬を間近に見て、自分も少し冷静になれた。馬たちは柵の中では繋がれておらず、興奮させてしまうとリョウでも手に負えなくなる。それに柵の戸を開け放っても逃げないようにしないと、父が乗る馬がいなくなってしまう。
 リョウは、()く気持ち抑え、馬を落ち着かせるために「ホウホウ」と声をかけながら、追い付いてきたシメンに言った。
「シメン、ヒズリが逃げないようにつないでくれ。ゆっくり、ゆっくりだぞ」
 馬の扱いに慣れているシメンは、手早くヒズリに手綱を付けると、近くの馬留につないだ。
リョウは、柵の上に掛けてある鞍を付けていては間に合わないと即断し、グクルに手綱だけを付け、背の低いシメンを馬の背に押し上げると、自分は馬留の横杭を蹴ってその後ろに飛び乗った。
 走って追いかけて来た敵は柵の外まで来ていて、柵の戸を閉めようとしていた。その後ろからはさらに馬に乗った二人が加勢に走ってくるのが見える。リョウは「チッチッ」と舌鼓(したづつみ)を打ってグクルに合図すると、その腹を蹴り柵の戸に向かって走らせた。同時に、腰の革帯から石鑿を抜くと、戸を閉めかけていた敵に向かって馬上から投げつけた。石鑿は閉まりかけていた柵の戸に当たっただけだったが、思わず後ろに下がった敵の眼前をグクルは走り抜けた。
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