(八)

文字数 1,833文字

 少ししたところで、アユンが訊ねた。
「お前はなぜ俺を助けたのだ。勝ち戦はカプラン側にあったのに」
「俺は、残虐なクルトの一族には、もう付いていけないと、ずっと思っていたんだ」
 そう言って、タンはカプランの奴隷としての日々を語り始めた。リョウたちは、何も口を挟まず、タンがポツリ、ポツリと語る話を聞いていた。
「もう二年ほど前になる。俺は、カプランに命じられるまま、農民を殺してしまった。子供をかばって(くわ)を振り回していた男にカプランが矢を射たんだ。胸に矢が当たって、男はぐったりと無抵抗になった。しかしカプランは、俺に(とど)めを刺せと言った。
 俺はそのとき、ここにいるのは羊だ、羊だ、と念じながら、その農夫の心臓に剣を突き刺した。羊と同じで、その方が楽に死なせてやれると思ったからだ。でも、その時の、剣が肉にググッと刺さっていく感触は、今もこの手に残っている。
 それからは、もっと(ひど)かった。クルト・イルキンは、唐の農耕民から略奪する一方で、唐軍の将校とも(よしみ)を通じて、その略奪を黙認させていた。何かあれば、唐軍を手助けする見返りに、国境の草原一帯を、自分の支配下に置くという約束まで取り付けていた。だから、ウイグルや唐の軍がやったと思われている突厥の集落への攻撃も、その一部は、クルト・イルキンの部隊が、部族名がわからないように擬装してやってたんだ。俺もその攻撃に参加させられた……」

 タンはそこで(うつむ)いて、無言になった。テペが気を遣って、皆の器に酒を注ぎ足した。タンは、それに少し口をつけると、また顔を上げた。
「一度殺してしまうと、人殺しだという感覚は麻痺してしまう。それどころか、俺は、……俺は獲物を襲う快感に酔っていた。命じられるまま略奪に加わり、立ちはだかる奴には弓を浴びせる。相手が死んでいるかどうかなんて、どうでもよくなってしまった。人を殺して良い理由なんか、あるはずがないのに……」
 タンは、ため息をついて、また話を止めた。リョウには、タンが話を続けるかどうか、迷っているように見えた。長い沈黙の後、タンが涙声でつぶやいた。
「それでも、クルト・イルキンに、お腹の大きな妊婦とその手にすがる小さな女の子まで殺せと言われたとき、俺はどうしてもできなかった。クルトは、こいつらはここに居るべき人間ではない、皆殺しにするんだ、と叫んだ。でも、俺は、その子の(おび)える眼を見て、これは羊なんかじゃない、どうして殺さなければいけないんだって、心の底から恐ろしくなった」

 それまで黙って聞いていた三人が、うなり声を出した。
「そこまで酷いのか」
「男は労役に使うから奴隷にするが、女子供は殺す。役に立たないからではない、根絶やしにするためだって、ブルトが言っていた」
 タンは、嫌なものを忘れたいとでもいうように、器の酒をあおった。
「そのとき、俺は奴隷になって初めて、命令に逆らった。この無抵抗な親子を殺す理由はない、と叫んだんだ。そのとたん、俺はクルト・イルキンの部下に、槍の柄でしたたかに頭を殴られ、地面に叩きつけられた。集落に戻ってからは、奴隷のしつけが足りないとクルト・イルキンになじられたカプランと取り巻きから、散々に殴ったり、蹴られたりした。食事も与えられずに三日間、縛られ、転がされていたときに、アユンとリョウのことを思い出していたんだ」
 リョウとアユンが顔を見合わせた。
「カプランと争ったときのアユンとリョウは、俺には主人と奴隷のようには見えなかった。俺は命じられるままに動いたが、リョウは自分の意思で動いていた。全然違う、って思ったし、その後もそれを忘れることができなかった。だから、カプランがアユンを殺そうとしたとき、それは違うって、身体が勝手に動いてしまったんだ」

 アユンが、タンの肩に手を振れた。
「嫌な話をさせてしまった、すまん。何はともあれ、逃げようと思えば逃げられるものを、この陣地まで付いて来たお前は捕虜ではない。それに、ここに居るリョウやテペと同じ、俺の命の恩人だ。俺たちの集落に一緒に帰ろう。今日は、まず、ゆっくり休め」
 そう言って立ち上がったアユンと一緒に、リョウとテペも立ち上がった。ゲルを出るときに、振り返りながらリョウが訊ねた。
「タンの両親は漢人か?」
 タンがうなずきながら、怪訝(けげん)そうにリョウを見た。
「やはりな。俺の母親も漢人だ、父親は違うがな」
 最後に、「晩安(ワンアン)(おやすみ)」と漢語で言うと、タンがようやくほんの少しだけ微笑んで、「晩安」と返した。
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