(六)

文字数 1,456文字

 翌朝早く、(こう)佇維(ちょい)はアトに西域の珍しい商品を見せてくれた。
「王侯貴族じゃあるまいし、金銀の器はいらない。こちらにも良い毛皮がたっぷりあるから、それを買ってくれるなら、薬や絨毯(じゅうたん)をもらおう。良い値をつけてくれたら、香料や薄物には目が無い奥方たちを紹介してもいいぞ」
「わかりました。アトさんは、交易の責任者と聞いています。お好きなものを残していきますので、どうぞゆっくり考えておいてください」
 二人のやり取りを聞きながら、これも商売のコツなのだろう、とリョウは思った。アトは、強気に出て毛皮の売値を高くしたいし、康佇維はアトを「あなたが一番偉い人」とくすぐって、優先して欲しい商品を置いていくという。商売のやりとりだとわかってはいても、人は持ち上げられたら良い気分になる。康佇維が帰ってきたら、結局は、残していった物ばかりか、買わないと言った金銀の器までアトは買わされるのだろうな、そんな光景がリョウには浮かんできた。

 自分にも商人の血が流れているのかな、と考えているうちに、康佇維はアトが選んだものを入れた一台の馬車と留守番を一人残しただけで、残りの馬車と従者を引き連れて集落を出て行った。周辺の集落をいくつか回る算段のようで、帰りは二、三日後になるとのことだった。

 その三日後、夕刻に戻ってきた康佇維は上機嫌だった。商売がうまくいったのだろう。「また夜に話したい」と言ったリョウに、「売れ残った葡萄酒は、まだたくさんあるよ」と言ってくれた。
 その夜、ゲルの外で葡萄酒を御馳走になりながら、周辺の村落での商売の話を聞かせてもらった。(こう)円汕(えんさん)は別の用事で先に南に行ったということで、康佇維と二人きりだった。
 リョウはいつ父のことを切りだそうかと、逡巡(しゅんじゅん)していた。しかし、その機会は意外にも相手の方からやってきた。話が途切れた時に、康佇維は木の杯を片手に、リョウの眼をじっとのぞき込んだ。真剣な顔だった。
「リョウのお父さんは、私と同じソグド人だそうだね。アトがそう言っていたよ。なぜ打ち明けてくれなかったのかな」
 リョウは、自分の嘘がばれていると知った。
「すみません。私は漢人の血も半分流れている、ただの奴隷です。ソグド人の父は、戦いに巻き込まれて行方知れずです。正直に言えば、敵か味方かもわからない康隊長に、どう言って切りだそうかと、さっきから葡萄酒を味わう気にもなれずに、悩んでいたのです」

 康佇維は、リョウの言っていることを吟味するように頷きながら聞いていた。
「リョウ、嘘はいけないよ。嘘は必ずいつかどこかで露見(ろけん)する。われわれ商人は、信用が一番だ。この酒器が美しいと言っても、この葡萄酒は旨いと言っても、それは人の感じることだから嘘にはならない。相手が喜んで買ってくれれば、お互いに得できる。しかし、この粛州の葡萄酒を涼州の葡萄酒だと言ったら、それは嘘になる。それはしてはいけないことだ。嘘をつくくらいなら、何も言わない方がまだましだ」
 リョウは自分の漢字名である「諒」の意味を「嘘をつかない、他の人のことを思いやるという意味だよ」と教えてくれた祖父の言葉を思い出し、恥ずかしい思いで「すみません」とつぶやいた。

「それはそうと、お父さんの名は何というのだ?」
 リョウは、覚悟を決めて本当のことを言うことにした。
(こう)憶嶺(おくれい)と言います。隊長と同じサマルカンドの康に、ソグド語の名前はアクリイです」
 それを聞いた康佇維はフウッと息を吐き、そのまま絶句した。目を閉じて上を向き、しばらくして漸く言葉を絞り出した。
「康、憶嶺とな」

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