(二)

文字数 1,843文字

 昼近くまで荷物番を引き受けたリョウは、晴れない気持ちのまま、荷車の端に腰かけ、見るともなく祭りの景色に眼をやっていた。
 市の隣にある祭り広場には、いくつも舞台が(しつら)えられ、そこでは様々な楽器が奏でられ、色とりどりの民族衣装を着て踊る女たちがいた。その中でもひときわ目立っているのは、西域風の、身体に(まと)いつくような薄手の衣裳の娘たちが、その長い袖を上下左右にひらひらとさせながら踊る姿だった。あれが父から聞いたソグド人の「胡舞(こぶ)」なのかなとリョウは思った。本当はお祭り気分を盛り上げるための踊りなのだろうが、リョウは、あの踊り手たちは、やはり買われてきた奴隷の女たちなのだろうかと、頭はそちらの方に行ってしまうのを止められなかった。

 やがて、祭り広場の周囲では、馬の曲乗りが始まった。今日の馬競争の余興だろう、小さな子供を頭上高くに持ち上げて鞍上に立ったまま騎乗する男、走りながら空高く放り投げた槍が落下するのを自分で捕まえる男、あるいは馬の鞍から滑り落ちたかのように身を隠し、観客の前でパッと身を起こす男たちの一挙手一投足に、観客たちから悲鳴や、笑い、そして拍手が沸いていた。
 そうしているうちに、人々が徐々に東の方に移動し始めていることに、リョウは気付いた。まもなく馬競争の先頭集団が戻ってくる頃なので、そのゴール近くの場所を、確保するために動いているのだろう。先頭集団が巻き上げる砂埃(すなぼこり)を浴びた人には、幸せと繁栄がもたらされると言われているからだ。
 最初の二歳馬の集団が帰って来たのだろうか、東の方からは大きな歓声が聞こえてきている。すでに正午近くになっており、シメンがいる四歳馬の集団も、もうすぐ出発するはずだ。しかし、荷物番の交代をしてくれるはずのオドンが、祭り見物に行ったきりなかなか戻ってこない。リョウはやきもきして待っていた。
 オドンは、両親がともに奴隷だったので、生まれながらの奴隷だ。名前は“木”を意味する突厥語なので、両親は捕らわれた漢人ではなく、何か罪を犯して奴隷になった突厥人なのかもしれない。リョウとは同い年で、仲良くしていて、仕事の合間にリョウに突厥語を教えてくれたのもオドンだった。

 やきもきしていたリョウだったが、正午を少し過ぎた頃に、ようやくオドンが祭りの広場の方から走ってくるのが見えてホッとした。ハーハーしながら、オドンは言った。
「遅くなってすまない。相撲に出ていたんだ。すぐ帰ってくるつもりだったけど、勝ち抜きで、五人倒してようやく抜け出すことができたんだ」
「それは、すごいな。オドンは力持ちだからな」
 同い年と言っても、オドンは背の高いリョウよりさらに大きく、いずれは戦士になるだろうと言われていた。
「ハハハ、十人抜きでもいいんだけど、リョウが待っているし、途中で負けたら賞品をもらえなくなるから、五人でやめて来たんだ」
 そう言って、オドンは賞品の長い布を見せてくれた。リョウは帯に使えそうだなと思った。
「オドンなら十人でも負かせただろうに、俺のために戻ってきてくれて、こっちこそすまない」
「気にしなくていいよ、あれ以上やっても疲れるだけだし、賞品も大して変わらないからさ。早く行って、シメンを応援して来いよ」
「ありがとう、それじゃあ行ってくる」 

 そう言って、リョウは駆けだした。ゴールは東へ四里ほどの所だが、今から走って行けば、四歳馬の到着には何とか間に合うだろう、そう思いながら、途中の相撲の試合や弓競争を横目に、一目散に走った。
 突厥の夏祭りには、奴隷が参加できるだけでなく、あらゆる老若男女が参加できる。シメンが出ている馬競争には、男女を問わず出ることができる。ただし、年齢は十二歳までだから、大人は出ることができない。その代わり、大人には相撲がある。しかし、さすがに相撲は男だけの世界だが、弓競争には大人の女性も参加していた。こんなに自由で楽しい気持ちは、長安で暮らしたときにも感じたことが無かった。とてつもなく広い、果てのない草原と青い空が、人々をこんなに大らかにするのだろうか。
 さっきまで、奴隷の身分の悲しさに打ちひしがれていたリョウも、踊りの音や食べ物の匂い、人々の歓声や笑顔を五感で受け止めながら、汗を拭き拭き走るうちに、ようやくまた、いつもの快活な気分が戻ってくるのを感じていた。幸いシメンは、まだ売られないということだから、おそらくあと一年は一緒に居られるだろう、それは良いことだと考えようと、気持ちも前向きになってきた。
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