(二)

文字数 841文字

 その晩、リョウが隊長のゲルを訪ねると、康佇維は、大きな木の樽から陶器の瓶に何やら黒っぽい液体を移すと、それを手に、外で話そうとリョウを誘った。ゲルの中に居たもう一人の男も一緒で、康佇維はその男を(こう)円汕(えんさん)だと紹介した。親族か、あるいは同じソグディアナ出身なのだろうと思ったが、それは聞かなかった。
「この季節には、外で星を見ながら飲むのに限る」
 夏とはいえ、日が沈むと冷え込むが、厳冬の寒さに慣れた身にはすこぶる気持ちが良い。風はなく、満天に星が輝いている。そう言えば、久しく星なんかゆっくり見てなかったなと、リョウは思った。
「馬乳酒だけでは、飽きるだろう。ここに来る前に、粛州(しゅくしゅう)で入手した葡萄酒がある。少し飲んでみるか」
 康佇維は、そう言うと、瓶から木の杯に葡萄酒を注いでリョウと康円汕に手渡した。
 リョウが、その初めて見る酒をのぞき込むと、黒だと思った液体は、濃い赤紫色をしていた。杯を鼻に近づけると、乾いて赤茶けた土と木の実が混じったような香りがした。それは嫌なものではなく、何か懐かしいもののように感じた。杯に口をつけ、そおっと流し込むと、その香りが一緒に溶け込んだような芳醇な液体が口いっぱいに広がり、飲み込むと微かな酸味と苦みが舌の上に残った。
「どうだ、粛州の葡萄酒もなかなかだぞ。涼州(りょうしゅう)の葡萄酒には負けるがな」
「葡萄酒を飲むのは初めてですが、複雑にいろいろな風味が混じりあった、おいしいお酒だと感じます」
「初めての葡萄酒が旨いとは、お主も相当の呑兵衛になるな」
 そう言って康佇維は楽しそうに笑った。
「旨いというよりは、なぜか懐かしいような気がします。もしかしたら、祖父か父が葡萄酒を飲んでいて、それが記憶の底に眠っているのかもしれません」
 リョウは、父が長旅から帰ってくると、その膝の上に乗っかって、父が母に話す土産話を聞いていた幼い日のことを思い出した。あのとき、飲んでいたのが葡萄酒だったのではないだろうか。長安を追放されてからは、父が葡萄酒を飲むのを見たことはなかった。
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