(五)

文字数 1,858文字

 アユンが、眼と(あご)で焚火の向こうを指した。
「あそこにカプランが居る。クルト・イルキンの息子だ」
 ちょうど向こうもこちらに気付いたのか、カプランが立ち上がり、取り巻きを引き連れて向かって来た。初めて間近に見るカプランは、リョウよりも背丈は低いが、ずんぐりとした肩を(いか)らせ、小さな眼で(にら)むさまは、獰猛(どうもう)な獣を思わせた。
「おい、アユン。お前の親父は、(ひど)いことを言ってくれたな。俺たちは、こそこそと略奪なんかしていない。俺たちが守ってやってるおかげで、略奪を心配しないでいられる農民が、お礼でございますと、多少の家畜や酒を差し出すのをもらって何が悪いんだ」
「それを略奪と言うんだ。それにお前らは、農民を守ってなんかいない。抵抗する農民を殺しているそうではないか」
「お前は何にも知らないんだな。突厥の可汗は、唐に略奪や戦争を仕掛けないと約束する見返りに、唐の朝廷からたんまりと絹織物を受け取っているんだ。それとどこが違うんだ。一応は、絹と馬の交換ということになっているが、それは建前で、実はたんまりと儲けている。それを王侯貴族で独り占めして、俺たちまで分け前を回してこないから、代わりにこっちが唐の農村まで徴収に行ってやってるんだ」
絹馬(けんば)交易のことなら俺も知っている。そのおかげで俺たちは長年、大きな戦争を知らずに済んだ。しかし、お前たちのように勝手なことをする奴らのおかげで、戦が眼の前に迫っているんだぞ」
「戦は大いに結構。俺たち騎馬民族は、千年も前からそうやって生きてきたことを忘れるな。この北の大地で足りないものは、力で無理にでも奪わなくては、生きていけないんだよ」

 リョウは、奴隷である身分をわきまえて、口出ししない方が無難だと思って聞いていたが、カプランの勝手な言い草に、つい言葉を発してしまった。
「俺たちは、ちゃんと唐の市へ出かけ、農耕民や手工業者と交易をしている。足りないものはそうやって手に入れるんだ。暴力で無理矢理、家畜ばかりか家族の命まで奪うなんて許されないことだ」
「誰だ、お前は」
 リョウに替わってアユンが答えた。
「リョウは俺のネケルだ」
「そうか、お前がリョウか。アユンの奴隷だな。奴隷は引っ込んでろ。アユンも奴隷をネケルにするとは、ご立派なものだ。夏祭りで俺の馬を邪魔したのはこいつの妹だと聞いたが、さてはその女とできてるな」
 そう言ってカプランは下卑(げび)た笑い声をあげた。アユンの顔がサッと青ざめ、飛びかかろうとしたが、カプランはするりと身を引き、間に取り巻きの二人が立ちはだかった。
「俺が、ここで騒ぎを起こすような馬鹿だと思うか。やりたかったら、奴隷どうしで存分にやってもらおう。おい、タン、やってしまえ」

 後ろに控えていた一人の若い男が、名前を呼ばれて前に出て来た。オドンと同じくらいの背丈があり、肩幅の広いがっしりした身体つきをしている。そうはいっても、リョウとさして変わらない年ごろだろう、漢人に見えるその顔にはまだ少し幼さが残り、凶暴さはない。
 そのタンと呼ばれた男は、アユンの隣に立っていたリョウの眼を見据えると、いきなり突進してリョウを突き飛ばした。さらに、不意を突かれて地面に転がったリョウにまたがり、その胸倉(むなぐら)をつかんで顔に殴りかかってきた。
 このところ軍事訓練で鍛えたきたリョウは、そうされてもあわてなかった。両腕でタンの拳から顔を守りながら、両足を上げ、身体の反動と両腕で思いっきり跳ね返した。たまらず地面に転がったタンの横にサッと立ち上がったリョウは、しかし、それ以上の反撃はしなかった。
 なおも立ち上がり、殴りかかろうとしたタンは、カプランの制止の声で直ちに攻撃を止め、素早く後ろに引き下がった。優秀で忠実な奴隷なのだろうとリョウは思った。

「アユン、奴隷はネケルなんかにしないで、こうやって命令ひとつで使うものだ。覚えておけ」
 そう言い放ってその場を去ろうとするカプランに、アユンはまたも飛びかかりそうになったが、リョウが必死で止めた。周りに人だかりができそうになっていたので、リョウは何ごとも無かったかのように、とりあえずアユンを元の席に座らせた。

「リョウも殴り返してやれば良かったのに」
「俺は、アユンを守る必要があるときには、いくらでも戦う。しかし暴力沙汰を起こしたら、アユンも後で罰せられるだろう。それに、俺は、奴隷がそういう時に、どういう扱いを受けるか知っている」
 アユンも、それは大狩猟の時、自分のせいでリョウが受けた鞭打ち刑のことだと気付き、それ以上は何も言わなかった。
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