(四)

文字数 1,769文字

 リョウは、奴隷武人としての自分の立場への迷いや不安、シメンを奴隷の身分から救えなかった悔しさ、そしてシメンのいない寂しさを振り払うように、武術や馬術の鍛錬に打ち込んだ。その合間には、張やアトと一緒に交易に出かけ、野良仕事をし、巧の大工仕事の手伝いをしたりと、忙しく立ち働いた。
 わずかしかない空き時間も、せっかく覚えた字を忘れないようにと、王爺さんが残してくれた本の字を模写し、それを石鑿(いしのみ)で石板に彫ることに充てた。
 悪い夢を見ないためには、ともかく何も考えずに、へとへとになるまで何かをしてから眠ることが必要だった。
 それでもときどきは眠れずに、リョウは、父の集落がなぜ襲われたかを考えることがあった。シメンとの間では話さなかったが、もともと長安を追放になったことからして、父は誰かに(おとしい)れられたのではないかと考えていた。
 
 ソグド商人として成功した父は、相当に大きな財産を築いたはずだ。長安を追放になった時に、財産の没収命令が出されていた。家屋敷は押さえられ、店に置いていた高価な商品の大半は、どこかの役人が来て持ち去った。
 しかし、草原で襲われたとき、父は「信頼できるソグド人の店に財産を預けている。証文は栗の木の下に埋めてある」と言っていた。朝廷に没収されたのは、財産の一部だけだったのだろう。あとは、砂金や銀貨で知人に預けていたのではないか。だとすれば、そのソグド人が父を裏切ったのか。
 あの戦いのときのことは、いまでもはっきりと覚えている。唐の武将は、初めに父を捕らえると、「あとのものに用はない、皆殺しにしろ」と言ったのだった。財産を預かっているソグド商人が、その財産をだまし取るだけだったら、父を殺してしまえばそれで済むはずだ。それなのに、父を生け捕りにしたのは、なぜだろう。
 父は、そのソグド人を「信頼できる」と言っていた。信頼した人間に裏切られることはあるだろう。金に眼がくらめばなおさらだ。しかし、父は人を見る目があることで、長年の商売を成功させてきたのだという。父のソグド名「アクリイ」は賢さを意味し、そこから漢名には「憶」、すなわち「神意を思い推測する」という漢字を充てたのだと母が教えてくれた。その賢さが、アクリイを数多(あまた)の危難から救って来たのに、そのアクリイが全財産を、人を裏切るような男に預けるだろうか。やはり何かおかしい。
 もし仮に、そのソグド人が裏切ったとして、父を殺さない理由があるとすれば、証文が誰か他の人間に渡ってしまっていないかを確かめるためかもしれない。誰かの手に渡っていれば、その人間から、証文を盾に引き渡しを要求される恐れがある。もちろん、父から聞き出した後には、父もその誰かも一緒に殺すつもりだったのだろうが。
 しかし、襲ってきたのは、唐の正規軍とその武将のように見えた。だとすれば、父が信頼できると言ったソグド人が裏切ったのではなく、唐の役人が、没収したはずの父の財産が隠されていることを知って、それを取り上げようとしたのだろうか。でも、それにしては手荒すぎる。家族や仲間まで、殺すことはないだろう。
 父は政争に巻き込まれたと言っていた。もしかしたら、父はその陰謀の首謀者の一人だったのではないか。証拠が無くて追放処分となったが、なにか新事実が出て、朝廷に反旗を翻す外国人集団の頭目として、抹殺しようとしたのだろうか。

 奴隷武人として突厥の部隊に組み込まれている今、あるかないかもわからない財産のことなど、本当はどうでも良かった。ただ、なぜ父が襲われ、自分たちがこんな環境に追いやられたのか、そのことを知ることは、父を知ることにもなると思っていた。真相を知った時には、もしかしたら尊敬する父の違う面、裏の面を見ることになるかもしれない。それでも、その真相を知りたかった。

 いつか、あの栗の木を訪ね、その下を掘ってみなければ、そして、長安にある「西胡屋」を訪ねてみなければ、そのためにも生き抜かなければとリョウは思うのだった。
 シメンをいつか自由にしてあげること、父の残したものを探し当てること、この二つがリョウの目的になり、生きる希望になっていた。そしていつも同じような考えを巡らせたあと、眠れぬ夜の最後には、父が言っていた「油断するな」という言葉を繰り返すうちにまどろんでいくのだった。
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