(三)

文字数 1,799文字

「では我らはどうすれば良いか」
 ビュクダグの下問に、クルト・イルキンの副官ブルトが立ち上がった。
「王忠嗣は奚を討つために東に行っている。今のうちに、ウイグルをこの草原から追い出すべきだ」
 ティルキが、手でブルトを制しながら皆を見回した。
「まあ待て。まだ確かなことではないが、わしの間諜からは、別な情報も来ている。王忠嗣の外交術は相当なもので、ウイグルだけでなく、西のジュンガル盆地にいる葛邏禄(カルルク)と西北部の天山北麓にいる抜悉蜜(バシュミル)にも働きかけて、三部族連合で突厥と戦わせようと画策しているとのことだ」
 このことは、クルト・イルキンもブルトも知らなかったようで、驚いた顔をした。ティルキが続けた。
「ウイグルとの関係があまり良くないバシュミルは、ウイグルが風上に立って主導することを嫌って、その話には乗らなかったらしい。しかし、それでも、残るウイグルとカルルク両方の騎馬軍を同時に相手にするとなると、さすがの骨咄葉護可汗(クトゥルク・ヤブグ・カガン)十万の軍も、楽には勝てないだろう」
 それに対して、クルト・イルキンは、あくまでも戦うことを主張した。
「何を弱気なことを言ってるのだ。勝てるかどうかでなく、勝たなくてはいけないのだ。ウイグル族は、今までも突厥の一部族のような顔をしたかと思うと、次には裏切って離反するということを繰り返してきたやつらだ。それに話す言葉だって俺たちとは違う。あいつらがこの草原を支配するようになったら、突厥人は虐殺され、もはや突厥語で生きていくことはできなくなるということをわかっているのか」
 議場では、クルトの主戦論に賛同する声がしだいに大きくなっていった。

 クルト・イルキンは、何が何でも戦に持っていこうとしているなと感じながら、リョウは全く別のことを考えていた。
 かつてゲイックは、「異なる言語を話すことが武器になる」と言って、リョウをアユンのネケルにした。一方、クルトは、負けたら突厥語は使えなくなると言っている。今、ここでは、言葉の違いが人々を分かち、戦争に駆り立てるもとになっている。戦は、権力者の欲や、先祖の憎しみが()りこまれた怨念や、宗教の違いによって起こされてきた。そして、言語の違いは、それらの欲や怨念や宗教と同じように、人々を分かつ根源的なものであると、何の疑いもなく考えられている。
 支配を確立するためには、異なる言語を話す者を根絶やしにしようと虐殺する。財貨や家畜、奴隷を奪うだけなら略奪で良いが、文化を奪うには虐殺するしかないと考えるのだろう。こうして違う言葉を話す別の民族であるというだけで、暴力を振るうことが正当化されていく。
 異質なものを受け入れるのはかくも難しいものなのか。それに引き換え、唐という国は、異質なものを受け入れることにより、大きくなり、発展し、富も力も増してきた。玄宗皇帝の世が、かつての輝きを失ってきているとは言っても、異質なものを包含できる唐の強さは、今しばらく続くのではないか。そして、できれば自分はそういう世界で生きてみたい、と思い始めていた。

 合議は終わったが、結論らしきものは何も出なかった。今日の合議の内容はビュクダグから万人隊長の阿史那(あしな)胆栄(たんえい)に伝えられ、さらに可汗とその大臣たちが、最終的な方針を決めるのだろう。その時には、実は、今日の合議内容など何の役にも立たずに、もしかしたら伝えられもせず、結局は権力者である可汗とその取り巻きが、自分たちの富と権力を維持するための方策だけを必死に考えるのだろう。

 合議の後、それぞれのゲルに戻って食事をすることになったが、ゲイックのゲルにはアユンも呼ばれ、リョウも付き添った。ドムズが、夏祭りの前夜祭で買って来た羊肉の西域風(あぶ)り焼きに(かぶ)り付きながら、腹立たし気な顔をした。
「まったく、今日の話を聞くと、王忠嗣というのは相当に(ひど)い奴だな。自分は戦わずに、他の奴を操って戦わせようとする。いざ自分で戦えば、敵を大量に虐殺するまで止めない。奚で三戦三勝したというが、あっちでも似たようなことをやってるのだろう。策士というよりは、ただの残虐でずる賢い(きつね)だ」
 それに対するゲイックの答えは、実にあっさりとしていた。
「王忠嗣は、吐蕃や奚、あるいは我々突厥から見れば、残虐非道な人殺し部隊の大将だが、唐の民から見れば、輝くばかりの英雄だろう。戦とは、そういうものだ」
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