(四)

文字数 1,283文字

「さきほど、北の道がきな臭くなってきたと言ってましたね。あれはどういうことですか」
「それは、ここに居るエンサンに聞くがよい」
 そう言われて、(こう)円汕(えんさん)がリョウの方に向き直った。
「今年、突厥の王族に内紛があったのは知っているか。毘伽可汗(ビルゲ・カガン)の子の伊然可汗(イネル・カガン)が骨咄葉護(クトゥルク・ヤブグ)に殺され、弟の登利可汗(テングリ・カガン)が即位したが、これもまた左シャドの判闕特勤(ハン・キョル・テギン)に殺され、結局、骨咄葉護(クトゥルク・ヤブグ)自身が可汗に即位したのだ」
「突厥の王族なんて雲の上の話で、可汗の名前は良く知りませんが、アトが王族間の内紛が続いているので、唐やウイグルが突厥を狙っているのだと教えてくれました」
「さすがにアトは情報通だな。今回は、今までとは少し様子が違う。短期間に可汗が殺されたり交替したりしたので、唐やウイグルは突厥を攻める好機だと思っている。ここの集落にいる人々も、近いうちに戦いに巻き込まれる可能性が大いにあるのだ」

 リョウは、シャドと葉護(ヤブグ)が、突厥の東西の地方総督の役職名であることは知っていた。地方総督と言えば、大臣級であり、しょせん彼らも支配部族である阿史那(あしな)氏の一員であろう。だから、詳しいことはわからなかったが、要は王族どうしで貴族も巻き込んで権力争いをしていているのだろう、という程度には理解していた。
 支配部族である阿史那氏が遠く離れた北の草原で、一族どうしで殺し合いをしていても、そんなことは被支配部族であるゲイック・イルキン達にはどうでも良い話だ。ましてや、その部下であるアトやドムズ、そして奴隷の自分には、全く関係の無いことだ。しかし、自分たちが戦に巻き込まれるとなると話は違う。昨年から軍事訓練が厳しさを増したのは、ゲイックやビュクダグたちも、戦いがあることを予想しているのだろう。

 康円汕は、葡萄酒を一口飲んで、続けた。
「唐では今年、(おう)忠嗣(ちゅうし)という将軍が、朔方(さくほう)節度使(せつどし)に任ぜられた。この男は、皇帝のお気に入りで、突厥の王族の内紛に乗じて、突厥に唐に降伏せよと脅したのだ」
 節度使というのは、唐の軍管区司令官であるということは、リョウも唐の商人から聞いて知っていた。「朔方」はまさに長安を追われたリョウの家族たちが暮らしていた、黄河の大屈曲部の内側一帯であり、今いる草原からも、馬で急げば十日もかからずに、その勢力圏内に入る。
「実は王忠嗣は勇猛果敢なだけでなく、なかなかの策士で、突厥の内紛でも、唐の朝廷と親しい連中と、それに対立する連中の双方を、上手く操ったのではないかとにらんでいる。そのうえ、王忠嗣は、突厥と戦うように回紇(ウイグル)族を焚きつけているという噂も聞こえてくる。そんなわけで、ウイグルの部隊が突厥の村落を襲っては挑発するというようなことが、たびたび起こっているのだ」
「王忠嗣の話なら、私も漢人の商人から聞いたことがあります。河西節度使の下で吐蕃(とばん)(チベット)相手に戦ったときには、唐軍の数百騎で吐蕃軍数千人を殺したということで、長安の街中では結構人気があるようですね」

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