(三)

文字数 2,580文字

「そういえば、さっき悦おばさんと一緒に肉を持ってきた(てい)が、リョウのことをジッと見ていたんじゃないか?」
 オドンがからかうように言った。婷は、最近、アトが唐の村から連れて来た女奴隷だった。
「漢語を話せる奴がいないからって、悦おばさんから、俺が面倒みるよう言われたんだ。それだけだ」
「おい、リョウ、なんか顔が赤くなってるぞ。あの()はかわいいし、小柄だし、なんなら俺が面倒見てやろうか」
 そう言ったコユンの顔は、まんざらリョウをからかっているばかりでなく、(てい)に対する好意を感じさせた。リョウは、それまで気にしていなかった婷のことを、コユンの一言で、急に異性として意識し始めた自分の気持ちに、戸惑った。
「それなら、コユンが突厥語を婷に教えてあげればいいよ」
 リョウはそう言いながらも、戦から戻ってきたら、婷ともっと話をしてみたいと思っていた。

 リョウは、あっという間に葡萄酒を飲み終えた仲間たちに、馬乳酒の椀を回すと、居住(いず)まいを正して、みんなの顔を見渡した。
「俺は、ネケルとして暮らしてきた。お前たちが喰えないものを喰い、お前たちより温かくて広いゲルで寝起きした。そんな奴は仲間じゃないと思っているかもしれない。俺は、明日、ネケルとしてアユンのために戦う。それは俺の運命だ。だけど、お前たちは自分のために戦ってくれ。戦いに勝ち、生き延びれば、いつか自由が得られる。でも生き延びなければ、自由もない。だから、俺の指揮に従って、一緒になって戦うことを約束してほしい」
 オドンが、笑って応えた。
「リョウは、何を難しいことを言ってるんだ。お前は、俺たちと同じ奴隷だし、俺たちの仲間だ、みんなそう思っているよ。そんなことより、ダメ将軍がいても、リョウなら俺たちを救ってくれると思うから、ついていくんだ。俺たちの指揮官はリョウだ。だから俺たちが殺されないように、頼むぞ」

 オドンの言葉に、皆、頷いていたが、バズがふと気づいたようにリョウの顔を見た。
「奴隷と言っても、俺やコユン、それにカルやデビも、みんな突厥人だ。オドンの親は漢人だけど、子供のころからここで暮らしているから、漢語も話せないし中身は突厥人だ。だけど、リョウは違う。リョウは、本気で唐の軍と戦う気があるのか」
 リョウの顔が険しくなり、語気が鋭くなった。
「俺は、長安の北で暮らしているとき、唐の軍隊に襲われ、敵兵と弓矢を交えた。親父もおふくろも傷を負い、そこで殺されたと思っている。それに、今、黄河の北に駐屯している唐の軍勢は、そこら中で集落を襲っている、許せない連中だ」
「わかった、わかったよ、リョウ、怒らないでくれ。他の村で、漢人の奴隷が、唐軍に逃げ込んだって聞いて心配したけど、リョウは俺たちのリョウでいいんだな」
「あたりまえだろう。それに俺の親父はソグド人だ」

 そう言ったリョウだったが、自分には母の漢人の血が流れているし、生まれ育ったのは唐の長安の都だ、長安には、伯父やその家族も住んでいる、俺は本当に唐軍と戦いたいのだろうか、という考えが(よぎ)った。しかし、そんな迷いを今、見せるわけにはいかない。
「さあ喰え、喰え。今日は、悦おばさんに感謝だ」

 ひとしきり飲み食いしたところで、コユンが訊ねた。
「リョウは自分のために戦え、って言ったけど、それで奴隷から抜け出すことができるのかな」
「もちろん、いきなり自由になれるわけじゃない。だけど、羊の世話をいくらやっても、一生、奴隷からは抜け出せない。戦で戦功をあげれば、違う世界が見えてくるかもしれない」
「でも、それって、敵を殺すっていうことだよね。俺は怖くてできそうもない。それなら、俺は、一生羊飼いの方がいい……。リョウは、唐軍に襲われたとき、相手を殺したのか」
「矢を放ったし、飛刀も投げつけたが、相手が死んだかどうかはわからない。ただ、目の前で、親父が敵の一人を刺し殺した。その直前には、そいつに俺が殺されそうになった。殺さなければ、殺されるのが戦いだ」

 威勢よく言ってはみた。しかし、リョウは自分でも殺しあうことの意義がよく分からないまま、小隊長の立場から、そんなことしか答えられない自分が恥ずかしく、悔しかった。「殺さなければ殺される」というのは、戦場では確かにそのとおりだが、その前に、自分たちには「戦場に行かなければ殺される」という、選択のしようのない厳然たる事実がある。戦うことを拒否したら、主人に殺されるだろう。それは、奴隷兵士に限ったことではない。突厥人の兵士だって、戦闘を拒否したら上官に殺されるだろう。コユンのように、一生羊飼いで良いと思っても、それは許されない。
 しかしなぜ自分たちが、戦わなければいけないのか。唐やウイグルの軍に、自分たちの生活の場を(おか)され、家畜や財貨を奪われるのは、阻止しなければならない。そのための戦いであることはわかっている。しかし、そうなったのはいったい誰のせいなんだ。

 少し黙ったリョウに、満腹になった腹を撫でながらオドンが訊ねた。
「戦に出れば、死ぬかもしれない。だから、今日はこんなに御馳走を喰わしてもらえるんだろうな。リョウは死ぬのが怖くないのか」
「俺だって怖い。死ぬのも怖いけど、殺すことも怖い」
 小隊長として言ってはいけない本音が、つい出てしまった。少し驚いた顔でオドンがリョウを見た。
()らなければ()られる、って言ったのはリョウだろ。ドムズが言ってた、敵は凶暴な(いのしし)だと思えって。人だと思ったら、判断が一瞬遅くなって、()られてしまう。これは猪だ、猪だ、って思えば、迷わないそうだ」
「上官としてはそれが正しい教え方なんだろう。兵士は悩んだり、考えたりするなってことだ。だまって言われたとおりに動かないと、敵か味方か、どちらかに殺される。俺みたいに、隊長が怖いなんて言ってたら、隊の士気が上がらなくなるから、俺は隊長失格かもしれないな」
「いや、リョウも俺たちと同じだってわかって良かったよ。リョウは俺たちの気持ちを一番わかっている。それに強いし賢い。だから、きっと俺たちを守ってくれる。そう信じて、ついて行くよ」

 そこに居た誰もが頷いていた。
「ありがとう、みんな。俺は、命を懸けて、お前たちを守るから」
 リョウは、自分が何をすべきかわかった気がして、迷いも、恐怖も、そして考えることさえも、無理矢理に追い払った。
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