(八)

文字数 1,716文字

「ええ、そこから先の話は、私から話しましょう」
 リョウはそう言って、草原に来てからの生活や、漢人部隊に集落を襲われて逃げてきたこと、父母の生死さえ知らないというようなことを語った。
「そうか、やはりソグディアナには戻らなかったのだな。実は、わしもそうだが、故郷のサマルカンドは、もう二十年以上前にウマイヤ朝のアラブ連合軍に征服され、イスラームに染まり始めてしまった。わしはマニ教徒だから、もう故郷に自分が戻る場所はないと感じている。きっとアクリイも同じだったのだろう」
「私には、長安を出て草原で暮らすようになってからの方が、父は元気だったように感じます。母はそんな父を見て、あなたのお父さんの(こう)憶嶺(おくれい)は、ここでソグド人アクリイに戻ったのよ、黄河に囲まれたこの草原地帯でもう一旗あげようと頑張っているの、と言ってました。その矢先に、唐の軍に襲われたのです」
「そうだったのか。それでお前は奴隷にされたわけだな。お前も気付いたと思うが、実はわしも奴隷を売り買いしている。隊商の馬車を曳く車夫の何人かは奴隷だ。わしらにとって、連れ歩いている家畜も奴隷も、全部が商品だ。場合によっては、馬も駱駝(らくだ)も売って金に替える。重たい思いをして運ばなくても、自分で動いてくれる人や家畜は、最高に効率の良い商品で、しかも高額で売れるのだよ」

 奴隷の売り買いをしていると聞いて、怒ったような顔で唇を噛み、(うつむ)いたリョウを見て、康佇維は言ってはいけないことを言ってしまったと気付き、慌てて付け加えて。
「いや、悪く思わんでくれ。わしもお前を助けたいとは思うが、奴隷となってしまった以上、お主は彼らの貴重な財産だと言いたかったのだ。しかもお主はネケルとして暮らしているというではないか。それを、わしの奴隷と交換することはできないし、金で買い取ることもできない。下手に話を持ち掛けたら、足元を見られて高い金を吹っ掛けられ、まとまる話もまとまらなくなるだろう。だから、今すぐには、どうにもならないということだ」
「そう言って頂けるだけで、本当にありがたいことです。ここで奴隷にされてから、初めて、かつては自分も自由人の子であったことを実感しました」
「康憶嶺の子を見殺しにしたと言われては、わしもこの先々困ったことになってしまう。長安に行ったら、お主の親族にお前と会ったことを伝えて相談してみよう。もうしばらく我慢してくれ」
 
 リョウにもわかっていた。何の縁も無い者が、父を知っていたというだけで、自分を高額で買い戻してくれるはずのないことを。商人は、あくまで商人なのである。それよりも、康佇維はこの話を長安の伯父に話して、法外な金をせびるのかもしれない、そんな考えさえチラリと頭をかすめた。しかし、それでもいい。ここで何もしなければ、自分には奴隷として死ぬしか道は残されていない。リョウは(わら)にも(すが)る思いで言った。
「ありがとうございます。伯父は長安で鄧龍(とうりゅう)という石屋を営んでいます。私がここで奴隷として暮らしていると、伝えて頂けると助かります」

 このときリョウは、西胡屋の話を康佇維にしてみようかとも考えた。そこには、父が預けた財産があるはずだ。父の知人である西胡屋の主人に話してもらって、その財産で自分とシメンを買い戻してくれるように頼めるのではないか、と思ったのだ。
 しかしリョウが言うより早く康佇維が訊ねた。
「さっきの話では、財産も没収されて追放になったということだが、アクリイほどの商人が何の備えもしてなかったということはあるまい。なにか大事なものを伯父さんか友人にでも預けたのではないかな。いや、なに、もしそれがあればお主を助けてあげられるかもしれないと思ってな」
 やはりそこに来たかと思いながら、リョウは反射的に答えていた。
「伯父には縁を切られたと聞いています。残念ながら、父の友人も知りません」

 ソグド商人は、唐の官僚とも軍人とも深くつながっている。康佇維が本当に味方なのか、あるいは敵なのか、軽々に判断すべきではない、と思いとどまった。「言わない」ことは嘘にはならないと康佇維も言っていた。父の「油断するな」という最後の一言が、何をするにもリョウを慎重にさせていた。
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