(五)

文字数 1,928文字

 あの話は、難しくて良くわからなかったなと、草原に寝ころびながらリョウは苦笑いした。「わしもそうだ」と言っていたが、王爺さんの憎しみは断ち切れなかったのだろうか。唯一の身内である、悦おばさんには、何か伝えられたのだろうか。
 そんなことを考えていたら、今度は、悦おばさんが、葬式の時に教えてくれたことを思い出した。
「突厥では、唐のように老人を敬うという考え方は無いんだよ。むしろ(うと)まれる存在さ。たまたま娘のあたしが近くに居たから、ひと月も看病できたけど、普通なら働けなくなったり、動けなくなったりしたら、厄介者として野に捨てられ、死んでいくんだよ」
「それは、冬前に屠殺される羊のように、生き残っている人の食糧を無駄にしないためですか」
「バカ!羊と人間を一緒にするんじゃないよ、……でもまあ、それもあるかもしれないねえ。ここでは元気で頑丈な奴が貴ばれて、病気で死ぬくらいなら戦争で死んだ方が良いと思われている。それに遊牧民にとって、自分で動けなくなるということは、死を意味するからね」

 葬式といっても、突厥では遺体を馬車で少し離れた野に運び、草原の上に石で丸く囲んだ中にそのまま(さら)し、動物や鳥に骨にしてもらうのが普通だ。動物と一緒に暮らし、その動物を殺して食し、最後に自分が死んだら動物に食べてもらって土に還る。それは、遊牧民にとっては至極普通のことのようだった。
 しかし、漢人の奴隷仲間では、さすがに風葬には抵抗があるので、沙漠に穴を掘って埋め、盛り上がった土の上に、小さな丸い石を置くことにしていた。そう聞いたリョウは、王爺さんのために墓碑を立ててあげることにした。山から掘り出してきた黒い石を割って石板を作り、表に大きく「王荘」と王爺さんの名を彫った。裏面にはリョウが知っている王爺さんの事績を小さい字で彫ることにした。そこには、没年月日に加えて、王爺さんが一番誇りにしていた王羲之の末であることや、唐で役人を務めたこと、部族の書記として活躍したことなど、少しおおげさかなと思いながらも、立派な人物として彫り込んだ。

 何日かかけて墓碑を完成させると、リョウはそれを王爺さんの盛り土の上に立ててあげた。悦おばさんや奴隷仲間に声をかけ、字の読めないみんなに、何が書かれているかを教えてあげた。
「やあ、これは立派な墓になったな。俺の時も、こうしてくれよな」
 興味深そうに集まってきた張と巧が、冗談とも本気ともつかない調子で褒めてくれた。ここの奴隷たちの中でも、リョウは良く気が付き、張の野良仕事も、巧の細かな修理仕事も(いと)わずにやるので、皆から何かと頼られていた。そのリョウが、アユン直属の武人として取られてしまい、手が空いたときにしか手伝いに来なくなったことが、張と巧には少し不満そうだったのだが、王爺さんの墓を作ってあげたことには、本当に喜んでいるようだった。

 傍らに立っていた悦おばさんが、静かに涙を流していた。
「この石は、何百年経っても、ここに朽ちずに残るんだよね。父さんも、きっと喜んでいるね、ありがとう、リョウ」
 そう言われてリョウは、自分が何気なくやってきた「石に刻す」ということの意味を教えられたような気がした。石は、人の生きざまに永遠の時をもたらすことができる、それは木や竹や紙にはできないことなのだ。そう思い至って、やさしかった王爺さんとの日々を思い出したリョウの両眼からも、思わず涙が流れて来た。
「父さんが大切にしていた物は、他の者には宝の持ち腐れだから、リョウが持ってておくれ」
 悦おばさんは、そう言って「蘭亭叙」と「集王書(しゅうおうしょ)聖教序(しょうぎょうじょ)」の二冊の拓本のほか、筆や硯もリョウに渡してくれた。それは、リョウにとっての最高の宝物になった。

 太鼓の音が一つ響き休憩の終わりを告げた。リョウは思いを打ち切り、素早く立ち上がった。昼からは、食料と毛皮の確保を兼ねた巻狩りの軍事演習である。周りでは、アユンやクッシもゆっくりと立ち上がってくる。彼らは前半の訓練で、口もきけないほど疲れているようで、あの陽気なテペでさえ無駄口をきけないようだった。
 彼らより二歳年上で身体つきも一回り大きく、肩回りもがっしりとした青年になりつつあるリョウには、それほど疲れる訓練ではなかった。考えてみれば、奴隷仕事で朝から晩まで野良仕事や家畜の世話をしてきたのだから、突厥の武人の子である彼らよりは、最初から鍛えられていたということだろう。
 続いて太鼓の音がドーン、ドーンと二度鳴り響き、リョウはアユンや周りの若者たちに声をかけて、巻狩りの集合場所に急がせた。奴隷武人であるにもかかわらず、最近のリョウは仲間に頼られ、アユンに次ぐ副隊長格として認められるようになりつつあった。
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