(六)

文字数 2,427文字

 リョウには佇維に聞きたいことがあった。もう辺りはすっかり暗くなったので、葡萄酒を飲むには良い頃合いだ。
 寒さが相当厳しくなっていたが、康佇維は分厚い毛皮を羽織って、外で焚火に当たっていた。
「おお、よく来たな」 
 そう言った康佇維はリョウを手招きすると、葡萄酒を注いだ木の杯を渡してくれた。
「佇維さん、長安の石屋は訪ねて頂けましたか、私の伯父のところですが」
 康佇維は、少し気まずそうな顔をした。
「いや、まだだ。あれから西でも東でも戦争で、忙しかったのだよ」
 リョウは、期待もしていなかったので、やっぱりなと思っただけで、何も言わなかった。
(こう)円汕(えんさん)はどうしていますか」
「エンサンなら、唐の軍にしっかり喰いついて、うまい汁を吸っておるわい」
「円汕は佇維さんの部下というわけではないのですか?」
「あれは、いろいろな奴とその時々で組んで、自由に商売をしている。そう言えば、昔はアクリイたちとも、何かやっていたそうだな」
 リョウは、円汕がリョウを助けたことを、佇維が知っているか確かめたかったが、話しぶりでは全く知らないようだった。やはり、あれは円汕一人の判断でやったのだろう。

「クルト・イルキンを裏切らせたのは、(おう)忠嗣(ちゅうし)だと聞きましたが、佇維さんは何か知っていますか?」
「王忠嗣の配下に、(ちょう)萬英(まんえい)という武将がいる。貴族や政商とさまざまな関係を持ち、自分の得になるなら何でも利用しようという奴だ。
 もともと長安の北一帯を縄張りにしていたが、王忠嗣が朔方(さくほう)節度使(せつどし)に任ぜられてからというもの、人の嫌がる最北端の地域を進んで引き受け、王忠嗣からも一万の兵を預けられた。まあそうは言っても、半分は突厥(とっくつ)(けい)()(みん)だがな。
 突厥との国境の、混沌とした地域で武威を示して、王忠嗣の受けを良くしながら、一方で唐の村からも突厥の部族からも貢物を供出させ、商人には商売を許す代わりに、利益の一部を勝手に税と称して吸い上げている。地域を治めるのが仕事のはずなのに、民の恨みを買い、争いごとを増やしている。王忠嗣の言うことなど、どうでもよいと思っているんだろう、面従腹背(めんじゅうふくはい)というやつだな」 
「それでは、その趙萬英が、クルトを裏切らせ、バシュミルにも工作したのですか」
「そういうことになる。もっとも趙萬英は指示しているだけで、現場は副官の()武岑(ぶしん)という男が仕切っている」
「ということは、我々が奇襲を仕掛けた部隊の隊長は、その李武岑ですか」
「リョウは、若いな。もっと落ち着いてものごとを考えろ。あのとき王忠嗣の本隊は奚との戦に出ていた。北辺の別動隊は、李の部下の(りゅう)涓匡(けんきょう)という男が隊長だ。わしらの、おいしい商売相手で、それだけなら良いが残忍な奴だ」

 佇維に指摘され、リョウは自分が少し焦っていたことに気付いた。しかし、その劉涓匡という男こそ、両親の仇なのだろう。康円汕が敵陣で何か話をしていた相手でもあり、それはほぼ間違いないと思えた。
 リョウは自分の興奮を隠すように、話題を変えた。
「王忠嗣という人は、宮廷で育ち、戦術書も良くし、唐の民衆にも人気があるということでしたよね。そんな人が、なぜ趙萬英なんかを使うのですか」
「王忠嗣もしょせんは戦争屋だ。戦争というのは、人が人を殺すことだ。きれいごとばかりでは済まない。王忠嗣には、汚れ役を引き受けてくれる武将も必要で、趙萬英は適任だったということだろう。そこは趙萬英も心得たもので、自分の支配地で争いごとがあれば、それを反乱軍のせいにして、唐の農民であれ、突厥の遊牧民であれ、村ごと虐殺して、それを軍の成果だと喧伝する。王忠嗣の人気はますます上がって、趙萬英も自分の権限が増える。そのために人が死ぬことなど、なんとも思っていない」
「それにしても、クルト・イルキンは唐の村を略奪していた憎い敵なのに、なぜ趙萬英や李武岑はクルトを誘ったんだろう」
「奴らは、クルトが農耕民を略奪していたことなど気にもしない。そもそも農牧(のうぼく)接壌(せつじょう)地帯の農耕民は、半分唐、半分突厥みたいなもので、()武岑(ぶしん)に使われている(りゅう)涓匡(けんきょう)自身が略奪も(いと)わない奴だからな」
 リョウは、その話を聞きながら思った。劉涓匡という男は、煮ても焼いても食えぬ奴だが、王爺さんにとって、復讐のために利用するには都合の良い男だったのだろうと。
「クルトはクルトで、なぜ、同族を裏切るようなことができたんだろう」
「リョウよ、同族ってなんだ?同族だったら、お互いは殺しあわないのか?あやつには理由なんかいらない。自分にとって最善の結果を先に考えて、そうなるように画策しただけだ。クルトは、確かに頭がよく回る男だった。しかし、欲が深いと、その頭の良さは正しいことには使われず、賢さとは似て非なるものになる」
 そう付け加えた康佇維の言葉に、自分の利益になるなら、唐にも突厥にも味方するこのソグド商人にとって、「正しいこと」とは何なのだろうかとリョウは思った。結局クルトも、欲が深い分、唐やウイグルに操られやすく、利用されただけだったのだろう。

「それより、リョウはどうするんだ」
「奴隷にどうするもこうするもないでしょう。それとも、私を買ってもらえるのですか」
「今は戦争で、しかも東へ大移動しなければいけない。そういう時には、自分の脚で動ける奴隷と家畜は値が上がるんだ。もっともその代金を唐の伯父さんが用意してくれれば良いのだが、少し時間がかかることになるだろう」
 リョウは、これも口先だけで、本当に話が進められるとは思っていなかった。だいたい、ゲイックやアユンが承知しないだろう。たとえ承知しても、伯父にはその十倍もの金を吹っ掛けるに決まっている。
 康佇維は、東西の情報に詳しく、優れた商人なのだろうが、康円汕のように恩を返すために危険を冒すような、人間としての面白味を持った人ではないな、とリョウは思った。明日も忙しいからと、葡萄酒の礼を言ってリョウは早々に自分のゲルに引き返すことにした。
   (次章は最終章「リョウの夢」)
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