(三)

文字数 1,181文字

 奴隷には、過去の戦で捕虜となった漢人やほかの部族民、飢饉などが原因で唐の支配を逃れてきた者、罪を犯して奴隷の身分に落とされた突厥人など多様な者たちがおり、要はこの部族の主筋(あるじすじ)を構成するいくつかの家系に連なる者以外は、待遇の差はあれほとんどが奴隷みたいなものだ、と張は教えてくれた。そもそもこの部族自体が、阿史那(あしな)氏を中心とする突厥の支配層から見れば、被支配部族なのだという。
 奴隷と支配集団との間には、平民と言っても良い層があるのだが、これには他所から移り住んできた平民、奴隷として長期間にわたり働いてきて奴隷の身分から解放された者などがいる。王爺さんも、もともと奴隷だったが、長年ゲイックの父親に尽くしてきて、その父親が亡くなった時に奴隷の身分から解放されたのだという。他の部族では主人が亡くなると、跡目争いに絡んで一緒に殺される奴隷もいるので、この部族の奴隷はまだましなほうだと張は言った。
「お前たちと出会ったときも、このままでは奴隷にされてしまうと思って、どうしようかと一瞬迷ったのだ。ただ、水も食糧もないまま野垂れ死にするよりは、ここでの奴隷の方がまだましだと思ってな」

 リョウが今、雑草取りをしているのは、茄子を育てている畑だった。遊牧民といえども、羊の肉や(らく)(チーズ)ばかり食べているわけではないが、農作業は得意でない。そもそも羊を追って遊牧するのに、一定の場所で農業をするのは難しい。だからこそ自分たちが遊牧している間にも、根城としている集落近くで農業をしてくれる漢人の奴隷が必要になるのだ。
 リョウが雑草取りをしている青茄子や赤茄子は、遊牧民もよく食べる。王爺さんの娘の悦、と言ってもリョウの母親より年上のように見えたが、その悦おばさんが羊の肉と一緒に炒めてくれる茄子料理は皆の大好物だった。
 その農作業も、張が教えてくれた。張は多くを語らなかったが、唐の農家の三男坊に生まれ、自分で耕す土地もなく、雇われ農民をしながら放浪しているうちに、突厥の奴隷になったのだという。リョウたちが、食べ物の不満などを訴えると、張は決まってこう応えた。
「ここでは、自分で作った作物を、自分で食べることができる。肉と酪もある。重税と食料不足で苦しむ唐の農民の方が奴隷みたいなものだ」
 
 リョウは土を耕したり、種を蒔いたり、雑草取りをしたりといった農作業が嫌いではなかった。何も考えずに、同じ作業を延々とやることが自分の今すべきことだと割り切ると、不安も苦痛も無くなり、仕事をやり終えると少しは心が晴れたような気がする。たとえ、足腰や腕、肩が痛みに悲鳴をあげていても、その感覚さえ好ましく感じた。仕事がきついほど、よく眠れる。これも若さの特権なのだろうと思う。それに比べると、父親の年代に近い張は、畑仕事には慣れているはずだったのに、農繁期には相当疲れた顔をしていた。
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