(七)

文字数 1,695文字

 その夜、父と同郷で、かつて父とは商売上の知り合いだったという康佇維が語ってくれたのは、次のようなことだった。
――はじめは隊商の一員としてソグディアナ近郊を行き来していたアクリイは、商売の才と武人の才を併せ持ち、やがて隊商の隊長となって信頼を築いていった。そのうちに隊商仲間から推されて、より遠くに出かける大きな隊商集団の頭目に就いた。そして幾多の困難な旅を成功させると、長安に店を持つまでになった。通過する各国の役人との調整役もしていたが、これには、アクリイが流ちょうな漢語を操れるという言語能力も影響しており、長安で知り合った漢人の妻、つまりリョウの母親の存在が大きく貢献していたようだ。また、妻の家が宮廷貴族とも付き合いのある石屋で、そこからの支えも助けになっていたことは間違いないだろう。
 しかし、何といっても康憶嶺ことアクリイの成功の一番の要因は、その時代を見る目の確かさ、人を見る目の確かさにあった。それに加えて、時に勇猛に戦うことをいとわない武人としての能力も併せ持っており、自ら求めなくとも周囲が自然に押し上げる形で隊長を務めていた。何か困難があるときには、周りの皆に頼られる存在だったのだよ。

 康佇維が語る父の姿は、自分が身近で見てきた父とは違う世界のものだった。リョウには、草原や沙漠をラクダと一緒に大勢の隊商を率いて進む父、時には襲い掛かって来る盗賊とも勇敢に戦う父の姿が見えるようで、とても誇らしい気持ちになった。

 しかし、康佇維はここで顔を少し曇らせると、さらに話を続けた。
――アクリイの成功は、一方で商売敵たちの(ねた)みを買うことにもなっていった。
 宮廷内部の権力争いでは、ウイグル商人やソグド商人らが、それぞれ昵懇(じっこん)にしている貴族の側に付き、自らの権益を増やそうと暗躍していた。アクリイ自身は、そういう権力争いや自分自身が権力を持つことには興味がなく、自由に商売をさせてもらえればそれで良いと考える性格だった。そのことはわしが良くわかっている。
 だから、アクリイは派閥に(くみ)せず、どちらの勢力とも付き合っていた。しかし、政情が乱れてくると、どちらにも味方しないことは、どちらからも敵視されるという微妙な関係になってきた。
 売り物の硝子(がらす)製品や絨毯(じゅうたん)といった高級品のお得意先から、理由もなく突然出入りを断られたり、絹織物や紙などを仕入れるのに法外に高い値を吹っ掛けられたりするような、おかしなことが増えてきた。アクリイはわしに、誰かが意図的に邪魔しているのだろうと言っておった。
 そこに起こったのが、王家の血を引くある貴族の謀反の噂だった。その貴族の取り巻き商人の一人、こいつは漢人だが、自らに係る火の粉を振り払おうと、あろうことか何の関係もないアクリイを首謀者一味だと讒言(ざんげん)したのだ。理由は、謀反の噂のある貴族の母系は突厥の血を引いており、突厥ではかなりのソグド商人が政権中枢と親しくしているというだけの、極めて薄弱なものであった。しかし、何の根拠もない訴えこそ、それを否定するのは並大抵のことではない。「無いものは無い」と言っても信じてもらえず、疑心暗鬼を生ずるだけで、ついには、以前その貴族に売った銀製品が賄賂だと密告されてアクリイは捕らえられ、長城外への追放となったのだ。
 謀反を企てていると言われた貴族は死罪となったが、アクリイは決定的な証拠は無いということで、追放で済んだのはせめても救いであった。これは妻の実家の働きかけがあったからだとも言われていたが、その代わりにアクリイの一家は、実家の石屋との関係を将来に向かって完全に断つということが条件になっていた。

 そして、康佇維はこう言って話を締めくくった。
「ソグド人であるが故に、私も同じように疑われた時期があったが、その貴族とは取引が無かったので難を逃れることができた。残念ながら、アクリイのその後のことは知らない。長安から追放され、その後突然、仲間と一緒に消息を絶ったということは聞いていた。ソグディアナ地方に戻ったのだろうという噂もあったが、お主がここに居るということは、なにか大変なことがあったのだろうな」
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