(五)

文字数 1,169文字

 子供たちと父親との会話はソグド語で、母親との会話は漢語だった。ただ、父親は留守がちだったので、家族での会話は漢語が主になっていた。父親と話す機会の多いリョウは、五歳からソグド文字を教えられたこともあり、ソグド語を話すことができたが、シメンはソグド語を忘れかけていた。だから、リョウは父の思い出はソグド語で、母の思い出は漢語でシメンに語り掛けるようにしていた。シメンはわからない言葉を途中で聞いてくるので、二人の会話はゆっくりと進んだ。それでも、こうして毎朝のように話していると、父母の思い出話が尽きかけてくるのが、リョウには寂しかった。

 父母の話題が途切れた時に、シメンが言った。
「そういえばね、悦おばさんが言ってたんだけど、王爺さんはずうっと昔、唐のどこかの村役人だったから、漢字の読み書きもできるんだって。でも、突厥の捕虜になって、こことは別の集落に連れていかれて、ずうっと何年も奴隷働きをして、それから今の村に買われてきたんだそうよ。悦おばさんも、この村で生まれたって言ってた」
「ふーん、そうか。でも漢字の読み書きができても、ここでは何にも役に立たないよな。それより、突厥の言葉をもっと話せるようにしないと」
「あ~あ、唐の言葉も、ソグド語も、突厥の言葉も覚えるなんて、頭がこんがらがってしまう」
「でもね、父さんが言ってたけど、ソグド人は仕事であちこち行くから、何カ国語も話せるのは普通のことなんだって。そう言えば、シメンは悦おばさんと一緒に毎日仕事をしているから、突厥の言葉は俺よりうまくなったね」
「そんなことはないけど、悦おばさんは王爺さんの子供なのに、唐の言葉があまり上手じゃないから、仕方がないのよ」

 そんなやり取りがあってから数日、リョウは、王爺さんが字を読んだり書いたりすることがあるのか気に留めていたが、一向にそんな気配はなかった。奴隷の身分から解放されたと言っても、毎日の生活は何も変わらず、むしろ自分で食べていく分は自分で稼がなければいけないので、年老いた王爺さんにはかえって大変そうだった。
 一応は、奴隷を束ねるという、先代イルキンのもとでの立場を続けさせてもらってはいたが、それは形式的なもので、今では張が王爺さんに代わって仕切るようになっていた。かつては張やほかの奴隷たちを使う立場だったのに、今は張から簡単な畑仕事や羊の世話の仕事をもらって、その報酬代わりに悦おばさんから毎日の食事を出してもらうという生活だった。奴隷身分からの解放ということは、ここでの生活から抜け出す手段を持たない老人にとっては、実は生活の(かて)を奪われたのと同じことだ、ということをリョウは知った。もし簡単な仕事もできないくらいに老いぼれたり、病気をしたらどうなるのか……、それは奴隷生活が短いリョウにも、おおよその想像は付くことだった。
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