(二)

文字数 1,540文字

 突厥(とっくつ)の集落に捕らわれてきて、二回目の夏が来た。数え年でシメンは十二歳、夏祭りの馬競争に出られるのは六歳から十二歳までの子供だけなので、この夏が最後の機会だった。この夏祭りは、リョウたちの集落からは、馬で半日ほどの草原で行われるが、近隣の多くの集落から老若(ろうにゃく)男女(なんにょ)が繰り出して、二日間にわたって行われる大規模なものだ。
 祭りには部族の支配一族や集落に住む平民の多くが参加する。そもそも王爺さんのように奴隷の身分から解放された平民と奴隷の違いは、誰の所有物でもないので移動の自由がある、ということだった。もっとも、集落を一歩出たら住む場所も、食料も、生活の手段が何もない者たちは、一緒に住み続けるのが普通ではあったが。
 平民は、奴隷のように「ただ働き」をする必要がなく、労働の対価をもらえることになっているが、唐のように通貨が普及していないので、実際上は寝床と食事の他になにがしかの食料や生活用品が得られることを除けば、その生活は奴隷とさして変わらないと、王爺さんがぼやいていた。

 祭りには、平民に加えて一部の奴隷たちも、荷運びなどの手伝いとして付いて行くことができた。主人の許しを得た奴隷は、部族の一員として相撲や弓、あるいは馬競争などの競技にも参加できる。いざ敵との(いくさ)となれば、彼らは命を()して主人と一緒に戦うのだから、それはごく当たり前のことであった。
 突厥の社会は支配層の家族と、その生活に必要な労働力を提供する平民と奴隷とでなっているが、普段はみんなで一緒に遊牧生活を送る集団という、大らかな関係でもあった。唐では、奴隷の売買もいちいち役所に届け出ることになっているが、ここではもちろんそんなものはなく、唐の奴隷とは全然違うのだと、かつて王爺さんが教えてくれた。だからそういう奴隷たちにとって、この夏祭りは、年に一度きりの息抜きであり、楽しみの場だったのである。

 いつものように、早朝の馬柵で待っていたリョウは、シメンが弾んだ足取りで駆けてくるのを見た。そのシメンが、息を切らしながら嬉しそうな顔でリョウに言った。
「悦おばさんに、夏祭りの馬競争に出られないかって頼んでいたんだけどね、ずうっとだめだって言われてたのに、昨日、突然、いいって言われたの」
「それは良かった。シメンの乗馬は俺よりうまいし、もう来年は馬競争に出られない歳になるからね」
「うん、でもね、本当は馬競争に出ることより、夏祭りを見られるのが楽しみで、頼んでいたのよ。お姉さんたちに聞いたら、それはそれは楽しいお祭りだ、って言っていたから」
「馬はどうするんだ?」
「兄さんが毎日世話をしている馬だから、グクルに乗っていいって言われたのよ。兄さんも、弓か相撲で出られるように頼んだらいいのに」
「俺には相撲は無理だよ。もっと力自慢の奴がいっぱいいるから」
「でも弓なら、誰にも負けないんじゃない?」
「ハハハ、そんなことはないよ。突厥の子供たちも、小さい頃から弓矢を扱っているから。それに、こっちに来てから弓も矢も取り上げられているし、弓がうまいなんて知られたら、何をさせられるかわからないからな」

 そんなやり取りがあってしばらくして、リョウは張に呼ばれ、今度の夏祭りに随行するよう言い渡された。奴隷の全員が行けるわけではないので、新参者のリョウは諦めていたのだが、張の話を聞くと、どうもアユンがリョウを指名しているということのようだった。
 張は不思議そうにしていたが、リョウは冬の間のアユンとのやり取りを思い出していた。「アユン」とは「熊」のことである。だから、あの会話の後に、木彫りの熊を届けたのが効いているのだろうと想像した。その木彫りの熊は、特別にリョウの自家製の墨で色付けをして、ぼろ布で磨き上げた自信作だった。
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