(三)
文字数 1,506文字
会議では結局、結論が一つにまとまらず、去る者と残る者で二手に分かれる以外に方法はないということになった。それからは、残る者は越冬の準備に、去る者は移動の準備にと、慌 しい日が何日か続いていた。
ある晩、リョウは馬乳酒の皮袋と木杯を持って、タンをゲルの外に連れ出した。ゲルの中で漢語を使うと、内緒の話をしているように取られかねない。王爺さんも、張も死んだ今、たまには気兼ねなく漢語で雑談をしたいと思ったのだ。
昔、シメンとしたように、集落のはずれの馬柵に二人は寄りかかった。
「俺には妹がいるんだ。シメンという名だ。ここでよくこうして、一緒に話をしたものだ」
「妹は、今、どうしているんだ」
「ソグド人の芸能屋に売られていった。南西にあるオアシス都市のどこかにいるらしいが、顔に傷があるので踊り子にはなれずに、小間使いをしているのだと思う」
「そうか、俺にも妹がいたが、病気で死んでしまった。でも奴隷として暮らすなら、死んだ方が良かったかなって思うときがある」
「悪いことを思い出させてしまったな」
「いや、いいんだ。それより、リョウは、俺が無抵抗の農民を殺した人間だと知っている。本当は、俺のことを、酷 い奴だ、嫌な奴だって思っているんじゃないのか」
「それなら俺も同罪だ。タンは自分の意思で殺したわけじゃない、兵士として使われただけだ。俺が殺した相手だって、兵士とはいえ、鎧 兜 を脱げば、羊を追っているだけの遊牧民だろう。お前は、剣を心臓に刺した時の感触が忘れられないと言っていたが、俺も、自分が射た矢が顔の真ん中に突き刺さり、眼を見開いている男の夢にうなされることがある」
「戦争は、俺がやった略奪とは違うのじゃないか。殺さなければ、殺されるのだから」
「そうかもしれないが、知らないうちに、戦争という名の略奪や虐殺に自分も加担しているのかもしれない。それに俺は、唐の兵士も殺した、自分が生まれた国の兵士をだ。いつか天から仕返しされるのではないかと、怖くなる」
「俺も唐の農民を殺した。はじめは、恐ろしくて、逃げ出したくてしょうがなかった。でもその勇気が無かった」
「俺から見れば、タンの方がまだましだ。自分が殺されるかもしれないのに、主の命令に背いて、母親と子供を殺すことを拒否したんだからな。正義は行動に移してこその正義だ。お前にはその勇気があった」
「リョウはいいよな。なんでも、そうやって前向きに考えられる。俺なんか、思い出すたびに、自分なんか生きる価値が無い、死んだ方がいいって思うんだ。お前には、わからないだろうがな」
「そうやって悩めばいい。俺だって、眠れない夜がある。悩んで、悩んで、悩んで、もうこれ以上なにも考えられないくらいに考え尽くしたら、最後に、それじゃあ明日からどうしようかって考えて、残りは忘れてしまうんだ」
「それを、前向きって言うんだよ。……それにしても、唐も突厥も無いよな。地面の上に境界線が引いてあるわけじゃないのに」
「そうだな、俺が両親と暮らした草原では、突厥人の遊牧民も、漢人も、ソグド人も、みんな仲良く暮らしていた。言語も違えば、生活の仕方も、信じる神様も違うのにだぞ。俺は、そういう生活を守るためなら、喜んで武器を取る。人を殺すための戦ではなく、人を守るための戦だ」
「リョウは、まっすぐな奴だな。でも、気をつけろ。人を守るためにと言って、他の人間を殺すのは、クルトやカプラン、それに支配者と言われる連中がいつもやっていることだからな」
「そうなのか、俺は、人を信じすぎるのかな」
そう言いながら、リョウは父が別れ際に、「油断するな」と言ったのは、リョウのそんな性格を心配したのかもしれないと思った。
ある晩、リョウは馬乳酒の皮袋と木杯を持って、タンをゲルの外に連れ出した。ゲルの中で漢語を使うと、内緒の話をしているように取られかねない。王爺さんも、張も死んだ今、たまには気兼ねなく漢語で雑談をしたいと思ったのだ。
昔、シメンとしたように、集落のはずれの馬柵に二人は寄りかかった。
「俺には妹がいるんだ。シメンという名だ。ここでよくこうして、一緒に話をしたものだ」
「妹は、今、どうしているんだ」
「ソグド人の芸能屋に売られていった。南西にあるオアシス都市のどこかにいるらしいが、顔に傷があるので踊り子にはなれずに、小間使いをしているのだと思う」
「そうか、俺にも妹がいたが、病気で死んでしまった。でも奴隷として暮らすなら、死んだ方が良かったかなって思うときがある」
「悪いことを思い出させてしまったな」
「いや、いいんだ。それより、リョウは、俺が無抵抗の農民を殺した人間だと知っている。本当は、俺のことを、
「それなら俺も同罪だ。タンは自分の意思で殺したわけじゃない、兵士として使われただけだ。俺が殺した相手だって、兵士とはいえ、
「戦争は、俺がやった略奪とは違うのじゃないか。殺さなければ、殺されるのだから」
「そうかもしれないが、知らないうちに、戦争という名の略奪や虐殺に自分も加担しているのかもしれない。それに俺は、唐の兵士も殺した、自分が生まれた国の兵士をだ。いつか天から仕返しされるのではないかと、怖くなる」
「俺も唐の農民を殺した。はじめは、恐ろしくて、逃げ出したくてしょうがなかった。でもその勇気が無かった」
「俺から見れば、タンの方がまだましだ。自分が殺されるかもしれないのに、主の命令に背いて、母親と子供を殺すことを拒否したんだからな。正義は行動に移してこその正義だ。お前にはその勇気があった」
「リョウはいいよな。なんでも、そうやって前向きに考えられる。俺なんか、思い出すたびに、自分なんか生きる価値が無い、死んだ方がいいって思うんだ。お前には、わからないだろうがな」
「そうやって悩めばいい。俺だって、眠れない夜がある。悩んで、悩んで、悩んで、もうこれ以上なにも考えられないくらいに考え尽くしたら、最後に、それじゃあ明日からどうしようかって考えて、残りは忘れてしまうんだ」
「それを、前向きって言うんだよ。……それにしても、唐も突厥も無いよな。地面の上に境界線が引いてあるわけじゃないのに」
「そうだな、俺が両親と暮らした草原では、突厥人の遊牧民も、漢人も、ソグド人も、みんな仲良く暮らしていた。言語も違えば、生活の仕方も、信じる神様も違うのにだぞ。俺は、そういう生活を守るためなら、喜んで武器を取る。人を殺すための戦ではなく、人を守るための戦だ」
「リョウは、まっすぐな奴だな。でも、気をつけろ。人を守るためにと言って、他の人間を殺すのは、クルトやカプラン、それに支配者と言われる連中がいつもやっていることだからな」
「そうなのか、俺は、人を信じすぎるのかな」
そう言いながら、リョウは父が別れ際に、「油断するな」と言ったのは、リョウのそんな性格を心配したのかもしれないと思った。