(二)

文字数 1,615文字

 出発の前夜、リョウは、自分が率いる奴隷兵士たちと一緒に食事をとることにした。配下といっても、同年代か、あるいは自分より少し上の者の方が多いくらいだ。ただ、皆、ネケルになる前から知っている者たちで、野良仕事や家畜の世話をする合間に、一緒に遊んだり、ふざけたりした仲間だった。

 夕方には相当冷え込む季節になっている。リョウがゲルの前まで行くと、夕食前に身体を温めようとばかりに、何人かが相撲をしていた。ちょうどオドンが、小柄なコユンを投げ飛ばしたところだった。
「おっ、リョウが来たぞ。隊長殿も俺と相撲をとるか」
「隊長殿はやめてくれ。オドンとやったのでは、大事な戦の前に身体を壊してしまう」
 コユンが身体に着いた土を払いながら立ち上がった。
「相撲をするならオドンが一番だろうが、騎馬戦は、やはり弓だろう。騎射なら俺が一番だ」
 奴隷の中から武人として選抜されただけあって、皆、身体が大きかったが、その中でコユンだけは小柄で、弓の腕で選ばれたのだった。
「演習で落馬した奴が良く言うよ。戦場では、何と言っても馬を自在に操り、馬上から槍を振るうことが一番大事だろう。それなら俺にかなう奴はいるまい」
 そう声をあげたのは、丸太のような腕をしたバズだった。
「剣を交えたら、俺が一番だ」
「いや、俺の方が強いぞ、リョウにはまだ負けるがな」
 デビとカルも競うように声を上げた。リョウは、うなずきながら、頼もしそうに皆を見渡した。

 しかし、リョウは知っていた。強がってはいるものの、それが彼らの不安の裏返しであることを。ネケルとして武術や馬術の軍事訓練に明け暮れていたリョウは、実は、どの武術をとっても、その場の誰よりも強くなっていた。そこにいるのは、乗馬だけは子供の時から得意でも、十分な軍事訓練も受けていない新兵たちだった。

「唐の軍は、歩兵が中心だという知らせがあった。それなら、コユンの騎射も、バズの槍も、強い武器になる。デビやカルの剣も、簡単には負けないだろう。馬に乗ったら俺たちの方が唐の軍より強い。しかし、油断してはいけない。最近は、王忠嗣の軍も馬を買い集めて、騎馬隊を鍛えているらしいからな」
「じゃあ、どうすればいいんだ」
「戦で大事なのは、事前の情報収集と、それに見合った戦術、そしてそれを間違いなく実行できる指揮官と兵隊だ。しかし、戦は人がやるものだ。状況が思わぬ方に動くことはしばしばある。だから、戦場全体を見渡して、臨機応変に対応できる指揮官の指示で、自在に動くことが一番大事になるんだ」
「今度の戦の指揮官は誰なんだ」
「クルト・イルキンの副官、ブルトだ。戦の経験はあるようだ。何しろ、あいつらは唐の村を襲って略奪してるって噂があるくらいだからな」
「そんなものは戦とは言えないだろう」
「まあ確かにそうだが、ドムズと同じように、数年前の(けい)との戦闘に参加して功績をあげたんだそうだ」

 明日からの戦は、ここに居る誰にとっても初陣(ういじん)だった。不安を表に出すのは(はばか)られるものの、リョウを囲んで、あれやこれやと訊ねてくる。
「まあ心配するな。今日は特別に頼んで葡萄酒をもらってきたから、さっそく飲もう」
 そう言って、ゲルの中で休んでいる者たちにも、外に出てくるよう促した。
 皆の高ぶる気持ちや恐怖感を和らげようと、リョウはアトに手を合わせて皮袋に入れた葡萄酒を特別に持ってきていた。十人で分けたらほんの一口にしかならないが、リョウを除きそこに居る誰もが初めて口にするものだった。
 夕食は、戦の前に力を貯められるようにと、悦おばさんが羊の肉を大盛で出してくれた。普段は、奴隷に回ってくるのは、死んだ馬や農耕用の牛、あるいは兎の肉などで、皆が大好物の羊の肉はほんのお飾り程度しかないことが多かった。そのわずかな羊肉さえ、子供のいない悦おばさんが奴隷の若者たちを我が子のように思い、自分の食べる分も減らして回してくれているのだと、シメンから聞いたことがあった。
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