(二)

文字数 1,813文字

 皆が、無言で(たたず)んでいた。しばらくして、アユンが真剣な顔でリョウに向き合った。
「リョウ、大事な話だ。テペも聞いてくれ。リョウは、俺のネケルになる誓約式で、俺に矢が飛んで来れば、その身体で矢を受け、俺に槍が突き出されれば、その身体で槍を受けると誓った。そして、ウイグルとの会戦では、カプランが俺に向けて放った矢をその身体で受け止め、ウイグル騎兵の槍をその身体で受けた。誓約どおり、命がけで俺を守ってくれた」
「俺は、そんな誓約のために戦ったのではない。一緒に暮らしてきたアユンが危なかった、それを救おうと身体がかってに動いただけだ」
「俺が言いたいのは、ネケルには、奴隷も何も無いということだ」

 アユンが、自分に対して好意で話していることは、リョウには手に取るようにわかっていた。しかし、思いとは裏腹に、激しい言葉が口をついて出て来た。
「それを言うなら、命を懸けて戦う兵士にだって、奴隷も何も無いだろう。アユン、戦では奴隷兵士のオドンもコユンも、他にも多くが死んだ。コユンは羊飼いとして平和に暮らしていければ、それだけで良いと言っていたんだ。コユンには、唐も突厥も、奴隷も平民も関係なかったんだ」
 テペが驚いた顔をして、リョウの前に立ちふさがった。
「それは言い過ぎだぞ、リョウ。奴隷を俺たちと一緒にするな。口を慎め」
「いや、いいんだテペ」
 そう言って、アユンはテペを制した。
「リョウは、ネケルの誓約を守り、俺の命を救ってくれた。俺は、リョウを自由な身分にしたいと思う。俺の意思でそうするとゲイックに伝える」

 リョウは一瞬、何を言われているのかわからず、怪訝な顔をした。
「それは、俺を奴隷から解放するということか?」
「そうだ。そして、俺は親父と一緒に東北に行くだろう。リョウは、これからもネケルとして、俺を助けて働いてくれ」
 思いもよらないアユンの好意に、リョウは言葉が詰まった。
――俺は、自由人になれる。本当だろうか。しかし、それで何が変わるんだ。結局、ネケルとしてアユンの前に立ち、矢や槍を受け続けるのか?
 リョウは、アユンの言葉に、素直に嬉しさが湧き出さず、懐疑心だけが浮かんでくることに、自分でも嫌になった。
 しばらく考えた末に、思い切ってアユンに言った。
「アユン、お前の言葉が本物だったら、俺は本当に嬉しい。心から感謝する。そして、もしその言葉を信じられるならば、俺は、皆と一緒に、東北へ移動することも、ここに残ることも、どっちもしない。自由人としての自分の意思で、ここを離れて、南のどこかに居るシメンを探しに行きたい」

 今度はアユンの方が驚いた。
「何を言うんだ、リョウ。奴隷でなくなっても、俺のネケルとして、しかも第一ネケルとして働いてくれるのではないのか」
「だから、アユンはわかっていないんだ。王爺さんが言っていた。奴隷と自由人との違いは移動の自由があるかどうかだって。自分で移動できる自由が無ければ、それでは依然、俺は奴隷なんだよ」
「それは我儘(わがまま)というものだ。俺たちだって、勝手に自分の意思で好きなように生きることなんかできないんだ。部族の掟があり、親の決め事もある。仲間への責任もある。自由勝手に生きることなんかできないんだ」
「それなら、俺がここを離れると言ったら、俺を斬るのか」
 アユンではなく、テペが剣の柄に手をかけた。
「逃走するというなら、たとえリョウでも、俺が斬る」
「逃走なんかではない。俺は、俺の居場所に居たいだけだ」
 
 今にも剣を抜いて斬りあいになりそうな三人の後ろから、大きな声がした。
「三人とも止めろ、話は聞いていた」
 いつの間にか、近くに来ていたゲイックだった。
「せっかく、厳しい戦を生き延びたというのに、こんなところで殺しあってどうするのだ」
 そう言うゲイックの声には、しかし優しさが含まれているように、リョウには感じられた。
「アユン、お前も部族長の跡取りなら、一度口から出した言葉を(むな)しくするものではない。部族長の(げん)は天の()を伝えるものだ。天の意はいつでも(しん)でなければならない。お前の命を守ったリョウを、自由人にすると言ったのなら、それを守るのがお前の責務だ」
「俺は、ただ、リョウに一緒に居て欲しいと思って……」
 (うつむ)くアユンの肩をリョウが抱いた。ゲイックがそんな二人を抱くように、ボンとその大きな手を二人の肩に乗せた。その手はズシリと重く、いつかそうしてくれたドムズの手より、さらに大きく感じた。
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