(三)

文字数 1,423文字

 夏祭りの日の朝、リョウの集落の一行は、馬や馬車に分散して出発した。シメンは馬競争に出るので、グクルに乗って先に行くことになっていた。リョウは、毛皮、干し肉、乳製品、それに馬乳酒などをたくさん積み込んだ馬車の運送を、手伝うように言われた。その馬車を曳く馬には、突厥人のアトが乗っていた。逃亡してきたリョウたちが、黄河の南の草原で出会った時の隊商を率いていた男である。いつもは、がっちりした身体に鎧を着こんでいる武人だが、今日は祭りとあって平服で来ている。それでも(いか)つい肩や野太い声は、商人のようにはとても見えなかった。
 そのアトがリョウに、祭りには唐の商人やソグド商人も集まってくるので、彼らにそれを売りつけ、代わりに生活用品などを買い込むのだと教えてくれた。見かけとは違い、腕力だけでなく商才もあるので、隊商の隊長を任されているのだろうとリョウは思った。

 アトや張のように、買い付けの隊商に普段から参加している者を除けば、ほとんどの者にとって、(いち)にソグド商人たちが持ち込む商品の数々を見ることは、祭りの楽しみの一つでもある。ソグド商人のゲルの前には、荷車が並べられ、その上には西域のきらびやかな食器や衣類が並べられるのだということを聞き、リョウも早く祭りの場所へ行ってみたいと、気が急いた。

 祭りの開かれる草原に近づくと、その一帯には既に多くの人が集まり、あちこちでゲルを建てていた。リョウたちの部族一行も、馬車から降ろした移動用の簡易ゲルを瞬く間に建ち上げ、その後、店代わりになる荷車を市が開かれる場所に持ち込んだ。
 市と言っても、草原の一か所に商品を乗せた荷車を丸く並べて、ぐるりと囲んだだけのものだったが、リョウたちが着いたときには既に多くの荷車が陣取り、色とりどりの(のぼり)が立ち並んでいた。リョウたちが近づくと、場所取りのために先乗りしていた部族の者たちに混じって、シメンが顔を紅潮させて近づいてきた。
「兄さん、すごいよ。王爺さんとアトがさっき、お姉さんたちと一緒にソグド商人の店に連れて行ってくれたんだけど、あんなきれいな衣裳は長安でも見たことがないわ。あれはきっと西域の衣裳よね。もちろん買ってはもらえなかったけど、みんな、好きな衣裳を肩から羽織らせてもらって、楽しかった。でもアトがジッと見つめるんで、なんか恥ずかしかったわ。金銀の食器も、見たことの無いようなものばかりだった」

 ここでシメンは声を小さくしてリョウの耳元でささやいた。
「お母さんの首飾りと同じ宝石もあったわ。青金石(せいきんせき)(ラピスラズリ)という高価な石で、びっくりした。幸運を呼ぶお守りなんだって」
 それから、リョウから顔を離して、また大きな声で言った。
「お肉の匂いがたまらないな。それに馬乳酒もさっき飲ませてもらったよ」

 祭りの見物人は、子供でも馬乳酒を飲ませてもらえる。食事時ともなれば、羊肉もいつもより多くもらえるはずだ。自分たちの羊肉を売る一方で、西域の食べ物も買ってくるので、奴隷たちもそのおこぼれにありつける。中でも、いつもは焼いて食べるだけの羊肉を、じっくりと(らく)(チーズ)で煮込んだ西域料理は、人気料理の一つだった。ただリョウには、珍しい商品や食べ物にもまして、大勢の人でごったがえすこの祭りの雰囲気が、たまらなく楽しかった。
 シメンもそうなのだろう、久しぶりの開放感からか、目の前で踊る西域の踊り子たちの真似をして、ひらりひらりと、さも楽しそうに踊ってみせた。
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