93.チューリップ

文字数 2,130文字

 下水道から這い上がり地上に出ると、赤い月が空高く上り真夜中になったとチャスが知らせた。タイムリミットはあと、三日。




 焦りだけが存在していたが、今となっては恐怖も染み出してきた。気にしていなかった胸の呪いも痛みを増してきた。


 触ると、ナイフでも刺されたようにズキズキする。こうなると焦って仕方がない。オルザドークはさっきから一言も口を聞かない。路地裏でひっそりと食事を取っていると、気まずい。チャスが腰を上げて、隅でパンをかじっているオルザドークのところに行く。


 「俺に言いたいことでもあるのか?」


 「バレの気持ちも分かってやってくれないか?」


 別にチャスに頼み込んでもらうつもりはない。協力してくれないのなら仕方がない。


 「復讐ってのは、やるだけ時間の無駄だ」


 「悪い言い方すればそうかもしれないけど」

 「時間がないからか? 時間がないからこそ冷静に対処するべきじゃないのか?」


 チャスではなく僕に怒っているのが分かった。


 「好きなようにさせるだけが、あいつのためになるわけじゃない」

 チャスがとぼとぼと帰って来る。チャスをオルザドークとの仲介のように使ってしまって申し訳なく思った。


 「もうやめにしないか?」


 まさかチャスの口からも、こんな台詞が出てくるとは思ってもみなかった。裏切られた気分だ。


 「どうして? 復讐して何が悪いんだ? 父さんも母さんも殺された。グッデも死んだ。僕が敵を取る!」


 つい熱くなって怒鳴ってしまった。言葉を失うチャス。自分が悪者のような気がしてきた。でも、ここは譲れない。見かねたオルザドークが、

 「思う通りにやってみろバレ。それでお前が幸せになれるんならな」




 幸せ? そんな言葉、遠い昔に忘れている。

 「やります。今日終わらせます」



 オルザドークが許してくれたのは意外だった。本音はおそらく違う。観察といったところだろう。この人の考えそうなことが少し分かってきた。


 雲が速い。鼓動も速まる。ジークの城に近づくにつれ、敵の本拠地の大きさに圧倒された。町の建物も十分大きいのに、その後ろで山よりも高く、雲を突き抜け、天にも届くそびえ様は忌まわしい。








 城への道は一本道で、徐々に建物も物悲しくなり、ついには、街とは呼べなくなる。しかし荒地ではなく、道はレンガで舗装されている。しかし明らかに他と空気が違う。霧が立ち込めはじめ、いくら歩いても、進んでいないような錯覚のする殺風景な道になる。


 「この辺りからあいつらの領土だ。誰も通ることを許されていないんだろう」


 いつ襲われるか分からない。でも、不思議と恐怖はない。火の気のない街頭が灯り出す。道しるべのように先へ先へと灯っていく。もう引き返せない。


 城に来ることを知られているに違いない。チャスが黒い橋を示した。その先に、今まで見てきたどの建物も入りそうな、大きな扉がある。


 「いいか。怒りで我を忘れるな」オルザドークが釘を刺した。


 いよいよ橋を渡るときが来た。下は、赤い川が流れている。血の臭いが上まで上ってくる。三人の足音しかしなくて孤独感を漂わせる。この一歩がジークへと近づく。



 足を何かがかすめた。自分の足にもチャスの足にもオルザドークの腕にも何かが絡みついた。



 黒い茎に、青い花の、チューリップ? 茎が異様に発達している。柔軟性も兼ね備えていて、ちょっとやそっとじゃ切れない。爪を使った。根元から引きちぎってやった。でも、次から次へと生えてきて間に合わない。


 「おいバレ」

 「何ですか!」

 斬るので忙しいのに、チューリップで顔まで縛られても、平然としている人に説教されたくない。


 「言っとくがこのチューリップ、魔界のそこら辺の草むらに生えてる。ジークの罠にしては楽勝クラス。これで戸惑ってたらジークには勝てないぞ」


 また説教するつもりなのか。

 「お前はまだ戦いをなめている」


 そんなつもりは全くない!

 世界が逆さまになった。何だ。何が起きた。オルザドークが逆さまだ!

 「何だその様は? 一瞬気を抜いたからだ」

 自分が逆さまだった。足元をチューリップにすくわれただなんて。


 ぱっとオルザドークの体から光が弾けた。青い花が飛び散った。それのもらい火で、こっちの花も焼け焦げた。


 「戦いってのは勝つか負けるか、生きるか死ぬかだ。よく見とけ。俺達の戦いを」

 危なく自分も燃やされそうになって飛びのいた。チャス、オルザドークが二手に別れる。


 「リエステスファウス」杖を一振り。橋をも焦がす勢いで、こうこうと、花が燃えていく。ほんの数秒の出来事だ。チャスが紋章入りコインを空高く投げた。


 「真雷章(しんらいしょう)狗雷(くらい)!」

 襲いかかろうとしていたチューリップの前に雷が落ちる。激しい光と、轟音(ごうおん)


 雷の形が変わる。子犬の姿になり、地面を駆け抜けた。一瞬にして、灰が舞う。


 「余計なことは考えるな。目の前にいる敵を倒すことだけを考えろ」


 二人のすごさに圧倒されて動くずにいた。この人達は四大政師と、大魔術師だ。こんなに頼もしい人達が側にいることに改めて驚き、感謝した。


 チャスにはちゃんと伝わっただろう。ありがとうと。オルザドークは何も起きなかったかのように橋を進むけど、本当は気づいてくれていたりして。
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