98.チャスの弟

文字数 1,691文字

 風の音がやたら耳を刺激する。耳が重力と反対に逆立ち暴れる。暗く明かりもない中で、落ちているからだ。チャスフィンスキーは冷静に自分の行き着く先を見つめていた。わずかに見えた青白い光に目を凝らす。ここに来て十分に落ち着いて呪文を唱える。


 「速止(そくし)


 落下が止まる。下に広がるのは月の光のように光る大広間。壁にかかっている青い松明を床が反射している。風を感じて、左右を見渡す。


 吹きつけてくるのは四方の鉄格子からだ。なる程。ここは地下牢のようだ。正面の大きな鉄格子から大きな足音が聞こえてくる。引きずるような音だ。大きい。


 鉄格子の奥で何かが光った。黄色い目が二つ。近づいてくる。二人を隔てていた鉄格子が、耳障りな音を立てて開いた。来る、と直感した。この魔物はどの魔物より大きい。ジークのライブ会場と同じぐらいの胴体がありそうだ。


 「スペードを引いたのかい?」


 出てきたのは、悪魔だった。魔物の気配がなくなる。さっきまであった黄色い目が消えた。黄緑色の切りそろえられた髪の悪魔、ロミオだ。ライブでキーボードを引いていたサタンズブラッドのメンバーだ。水色のスーツを着ている。右足が革靴、左足がブーツと、極端に違うため足音がちぐはぐに聞こえる。


 「ああ。俺って運が悪いのかな?」


 ロミオの肩に女の子が飛び乗った。それは人形だった。レースのたくさんついた赤いチェックのドレスを着ている。青い目に黒い髪の人形だが、魔法で動いているようではない。


 「その通りなんじゃないの」


 「失礼だよメアリ」


 ロミオが人形をたしなめる。人形はクスクス笑っている。自ら意思を持っているのだ。それにしても、このロミオという悪魔は、他の悪魔にない独特の雰囲気を持っている。和ませる力のある笑顔で話しかけてくる。


 「人形が珍しい?」

 返答をするのに戸惑う。明らかに敵であるにも関わらず、そんな感じがしない。この親しい者同士が交わすような口調で優しい笑顔では、とても悪魔と思えない程だ。


 「メアリは一回死んでいるんだ。死んだ悪魔は砂になる。でも、その前に魂を取り出して、魔術で人形に乗り移したんだ」


 話が終わってもロミオの優しい表情はそのままだ。穏やかに時間が過ぎていく。チャスはうっかりスペードを引いたことなど忘れかけるところだった。

 「本当、久しぶりだね。僕達」


 ロミオは胸ポケットから青いバラをチャスフィンスキーの前に投げ落とす。

 久しぶりの意味が理解できない。さっきライブで見かけただけで、これまで面識もほとんどない。それが青いバラを見たとたん、記憶が過去にさかのぼる。耳の毛が逆立つ。


 「四大政師(よんだいせいし)、なのか?」


 ロミオが薄気味悪く笑う。さっきまでの優しい表情が消え、醜く歪む。

 「銀、青バラのロディリーホフだ。まさか忘れたのかい? この僕を?」


 ロミオは上品に両腕を上げて交差させる。バレエの趣さえある。その指先が鋭い爪でなければ。ふわりと弾むステップ。風に乗って飛んで来たように、軽々と手の届く範囲に距離が縮む。慌ててチャスフィンスキーは後ろにジャンプする。


 「ねえ、もっとよく見てよ」

 肩に乗っている人形がお腹をかかえて笑う。


 「悪魔の姿じゃ分からないわよ。ジークに従うあんたなんて見たくないわ。狂った様を見せて」


 ロミオは、また優しそうな顔で微笑む。

 「性には合わないよ。一方的に殺したら可愛そうだもん。人には優しく接する。そうだよね、お兄さん」


 ロミオは悪魔の姿を借りた魔物だ。でも、普通の魔物より三倍でかく変身した。胴は大木を十集めたぐらい太く、背も大木を越すぐらい高い。肌は甲羅のように頑丈で水色。


 ところどころにオレンジのしま模様がある。キツネの名残だ。手には柱ほどある爪があり、当然のことのように立ち並んだギザギザの歯がある。耳は横に長くチャスフィンスキーと同じ形だが、尾は青い棘がいくつもある。


 チャスフィンスキーは豆粒と化した。この生き物と比べるとそうなる。だが、懐かしい。 キツネと竜のハーフだけある。悪魔に化けられても気づかなかった。



 これでも、父が違えど、本物の弟だ。



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