136.痛み移し

文字数 2,090文字

 静かな音が聞こえた。言葉としてはあまりにも捕らえ難かった。遠くに映った金髪のグッデが、悲しげに見える。コウモリは、歌って踊る、輪を描く、と歓喜を示して騒がしい。


 自分はどうなるのか? ひょっとすると食われてしまうのか? この悪魔に? 


 見上げれば決まって目が合う。身も心も凍える不適な笑み。自分はどんな情けない顔をしているのだろうか。頬の筋肉がさっきから引きつっている。


 「オレが押さえてる。こいつがもがき苦しむように爪でえぐり出してやれ」


 押さえられずとも、全身のしびれが抜けず動けない。いや、それ以上に恐れが足を征服してしまった。グッデが迫るにつれて、後ろで押し殺しきれていない笑い声が、恐怖をつのらせる。


 グッデの一歩が、心拍数を倍に上げていく。数分前の再会の喜びは絶望に堕ちて行った。


 「息が荒いぜ。まだ何もしてないだろ? グッデがもう元に戻らないって分かったか?」


 演技臭いあやすような口調も、汚らわしい手が髪を撫でたときも、言葉が出てこなかった。悲しみや、絶望はもう悟られている。せめて、目から溢れ出すところだけは見られたくない。


 「でももう遅い。グッデはお前を地に這わせようが、何も感じない。喜んでお前をのたうち回らせる」


 乱暴に前に突き出された。グッデの楽しそうな顔を見る気にはなれない。頭を垂れると、刑の執行が始まった。


 「さあやれ! こいつの腹に穴を開けろ! 腕を突っ込み、中身を引っかき回してやれ!」


 周りは笑みばかりだ。誰一人として味方はいない。グッデさえも敵に回ってしまった。苦しむ姿を見ようとする敵に。



 「ごめんグッデ。もう謝らないよ」



 何もかも終わってしまった。贖罪する意味はなくなった。生暖かい鮮血が両手を潤しても、不思議と冷静でいられた。やはり自分は悪魔でしかない。


 何も変えられず、過去も過ちも繰り返すのが(さが)。僕はグッデの腹部に爪を伸ばした。驚いたジークが僕の腕を放した。倒れるグッデを、血を、抱きしめる。



 悲しげに目を開いたグッデの口が震える。




 「殺せよ」



 気づくのが遅すぎた。グッデは紛れもなく以前と変わっていなかった。ずっと笑みは引きつり、爪で刺すこともためらっていた。信じていてくれたことを、どうして今まで気づかなかったのか。本質は同じなのだ。



 例え、記憶がなくても、グッデはグッデ。


 「さっさと殺せ」

 血をまき散らしながら、なおも戦おうとするグッデ。

 「大人しくしてて」


 毎日毎晩後悔していた。グッデは怒っている。自分に恐怖している。もしくは呪っているかもしれない。恨んでいると思い込んでいた。それは違った。


 きっと最期まで信じてくれていたと、この薄い青い瞳を見れば分かる。自分が恐れすぎていただけなのだ。


 腹から湧き出る血の熱を感じる。グッデを優しく寝かせた。結果は見えている。また、この手にかけてしまった。グッデは悔しそうに喚くばかり。


 「もうしゃべらないで」

 頬が火照りだす。まぶたもじんわり熱くなる。僕のことを覚えていなくても、助けられるものなら助けたい。僕は愚か者だ。


 「何してるグッデ! それくらいの傷、どうってことないだろ? バレを死の淵へ立たせてやれ! お前と戦うからこそ、こいつは過ちとオレへの憎悪で自らをさいなむ!」


 後退していたジークがやっきになってがなり立てる。もう戦えない者に何という無茶を言い出すのだ。

 「お前だけは!」


 不思議とグッデがいると力がみなぎる。さっきまで立てなかったのが嘘のようだ。僕の爪が油断していたジークの腹をとらえる。慌てたジークの爪より先に刺しきった。


 ジークが目を見開く。闇よりも黒い血が、ジークの肌を伝う。二、三歩下がってうつむいたジーク。小声が聞こえる。笑っている。



 「悪魔魔術、痛み移し」



 髪を振り上げて見せた顔には異様な輝きがあった。傷が治り始めている。それだけじゃない。ジークが横目に何かを見る。その視線の先にはグッデ。グッデが危ない! 


 走る。ジークの手のひらから閃光が飛ぶ。僕はグッデに覆いかぶさる。

 「あああああああああ!」


 閃光が背中に当たった。血は出ていないのに痛みが走る。ジークと同じ腹の位置の服が裂ける。これは、ジークの痛みか? 痛みを他人に移せるのか。


 「外したか。グッデに当たった方が面白かったのにな」


 残念そうにつぶやくジークが憎たらしい!

 「何故おれをかばう!」


 グッデが憤って、僕を殴る。

 「僕とあいつの戦いに、君は巻き込めない」


 変な理由に思われた。僕には変な直感もある。いつの日か、グッデはグッデに戻ると。

 「グッデ。待ってて」


 恐らく待てないだろう。こうしている間も血は流れ続けている。記憶が戻って、要姫や、チャスがこの城にいると言えばどんなに喜ぶだろう。


 散り散りになっている今は、会えそうもない。もっと時間があれば、たくさん話もできたかもしれない。


 「つまらないな。友情ごっこするならどっちも殺すまでだ」


 あのひん曲がったことしか言えない口をどうしてやろうか! 爪でかく、斬る、ついでに蹴り、殴る。が、どれも軽い身のこなしでかわされる。
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