64.母親の正体

文字数 1,929文字

 「いいだろう」


 太い声が唸る。灰色の煙が車内に充満しはじめた。女の足がむくむくと大きくなり、床がきしむ。女の顔がびりびりと破れた。まるで、皮を一枚脱ぐように。


 中から現われたのは、灰色の毛だ。天井まで頭部が伸びる。頭から背中まである黒い馬のたてがみ。その両側に金色の二本の角。目と、爪、サメのような歯も金色だ。太く長い尾が三本も見えた。その巨体が腕組をして話かけてくる。


 「俺様の名はモズドローンだ」

 「今から殺すやつの名を覚える必要があるのか?」

 魔物の顔に一瞬怒りが浮かぶ。


 「人間。何故、俺様が化けてるって分かったんだ? これでも俺様は魔力を悪魔の魔力であるイーヴルに変えられるんだ。ばれる訳ねぇのによぉ」

 俺は冷笑で返した。


 「簡単だ。アグルはお前が病気で目が見えないと言っていたが、さっきお前は普通に切符を買っていた。それに、同じ悪魔のイーヴルでも、親子っていうのは似てくるはずだ」


 「はっはっは。ただの人間じゃないようだなぁ。だが、腹に入れば皆同じ。俺様の正体を見破った褒美に食ってやるとしよう」


 十字架の剣に呪文を込めようと集中しようとしたとき、アグルの泣き声が邪魔した。


 「ねぇママは? ママは? 本物のママはどこにいるの?」


 魔物が嘲笑いで答えた。

 「本物のママはなぁ。俺様がとっくの昔に地獄に送ってくれたわ」

 アグルの瞳から涙が滝のように流れ落ちる。


 「ママ!」

 「うるさいから泣くな」

 泣きじゃくって人の話など聞こえていなさそうだ。


 (このガキ。本当に悪魔か?)


 うるさくて集中できない。そのせいで、普段なら絶対に言わないことを言った。


 「お前の母親の敵、取ってやるから泣くな!」


 まだ瞳は潤んでいるが、アグルが泣き止む。魔物は金色に輝く爪をゆらめかせ、一歩、二歩と近づいてくる。


 「邪魔だからどっか行ってろ」

 おずおずとアグルは隅に寄った。

 「さてさて、どこから食おうか?」


 レイドは剣を魔物の大きな顔に向けた。

 「まず俺の剣を食らえ!」


 床を蹴った。高く飛ぶ。そのまま弧を描きながら剣を振るう。しかし、魔物のごわごわした手で受け止められた。


 「お前なんぞの剣、片手で受け止められるわ」

 魔物の空いている方の手の爪が迫る。

 「おっと」


 自ら剣を弾いた。宙返りして着地する。

 「カルテンス」

 黄色の稲妻が剣から飛び出て魔物に襲いかかる。

 「そんなちんけな呪文なんぞ効かんわ!」


 稲妻が尾で斬られた。それなら、もう一つ。

 「カルティンル!」

 今度は稲妻が無数に分かれて飛ぶ。魔物は器用にも、三本の尻尾を使い分け、全て分散させた。


 「そこらの魔物って訳じゃなさそうだな。だが」

 稲妻に気を取られていた魔物は、尻尾をかいくぐる俺にようやく気づく。

 尾を振り下ろす魔物に勢いよく剣を繰り出す。


 「俺様の尻尾をよくもお!」

 尻尾を一本失った魔物は、いきりたって大きな手を振りかざす。


 「うわ!」

 剣で受け流したが、図体と相応の力に弾き飛ばされた。席に座っていた死人にぶつかる。いや、通り抜けた。その瞬間全身に冷気が走る。


 「冷たいな。おまえらも邪魔だからどっか行ってろ!」


 死人は何の感情も見せず黙っていた。全く、これでは地獄行きの汽車のようだ。


 再び剣で、邪魔な二本の尻尾を狙う。それに気づいた魔物も、尾を使わず手で剣を奪おうとする。息よいよく突き出す。魔物の白刃取りが決まる。剣に力を入れても、魔物の手にめり込むだけだ。


 「はっはっはっは。こんな剣はなぁ。俺様が噛み砕いてやるよぉ」

 魔物が剣に顔からかぶりつく。何を考えてるんだ。


 「何だこの程度か。俺のかいかぶりだったらしい。剣に噛みつくなんて、馬鹿だろ?」

 剣に魔力を込めると、青白く剣が輝く。

 「ディーバ・イレイン」


 「んむ?」

 光が散る。爆発音。粉々に飛び散る肉の破片。べちゃりと床にこびりついたのは、さっきまで動いていた、魔物の尻尾と、灰色の頭。


 「ああ・・・・・」

 陰で声がする。目を丸くしていたアグルだ。

 「す、すごいよ、お兄ちゃん。かっこいい!」

 「吹っ飛ばしただけだ。かっこよくも何もない」


 やれやれ、とんだ迷惑に巻き込まれたもんだ。席にどかっと腰掛ける。すると、隣にアグルもちょこんと座っていることに気づいた。


 「何で俺の隣に座る!」

 隣に悪魔が座るなど、許せない。たとえ子供でもだ。


 「ママの敵取ってくれたんだよね。ありがとう、お兄ちゃん」

 言葉を失った。悲しげだが、それでも微かな笑顔が隣にある。頬が赤くなるのが自分でも分かった。目を逸らしたのはいいが、行く宛てもなく視線は彷徨う。



 (何であんなことを言ったんだ俺は!)



 さっきの自分の言動が憎らしいほど、後悔した。
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