92.見込み違い
文字数 2,292文字
ひんやりとした空気が流れている。悪臭が強く、目が覚めた。暗くて、オルザドークの顔がぼうっと浮かんでいる。オルザドークがぼそぼそと呪文を唱えている。口の動きが鈍く、眠気を誘う。身体中がだるくて、目に見えているものが全て遠い世界のように感じられる。
痛みはない。自分は傍観しているだけで、生まれたての赤ん坊みたいな気分だ。
「そこの水をくんで来い」
オルザドークがチャスにコップを抱えさせる。
「下水道の水を!?」
悪臭を放つ泥水をしぶしぶすくう。
「まさか飲ませたりしないよな」
オルザドークがそれに指を漬けると、水が澄んだ。水で塗らした指で、オルザドークが僕の肩の傷口をなぞった。
さっきまでのだるさが吹き飛び、焼けたような痛みが走る。オルザドークがジークに見える。いや、ジークだ! ジークの手を蹴ろうとして、さっきまで痛みを感じていなかった全身が悲鳴を上げた。
「動くな!」
酷く怒られた気がして、焦点がオルザドークと合う。ジークではない。勘違いをしていた。
「痛いのは初めだけだ。もう、肩の傷は塞がってるだろ」
こんなオルザドークは初めて見た。目が怒りで、らんらんとしている。呪文を唱える目も真剣そのものだ。指があばらに触れると、光が覆って痛みが抜けていった。
「治ったが、問題はこっちだ」
まだ爪のところに釘が刺さっていていた。気にならなかったが、目にしたとたんに痛み出した。
「それはお前の爪が伸びないよういするために刺したようだ。それと、俺達にお前の居場所を、分からなくさせるために、気配を消す働きもあったようだ。全く念の入ったやつだなジークは」
「これを抜いたらジークに居場所が分かるってことか?」
「さあな」と、言ってオルザドークは力いっぱい釘を引き抜いた。遠慮もなく抜いたので、とてもじゃないが叫ばずにはいられない。
「黙ってろ」
すぐに治療してくれたが、目に涙が浮かぶ。手際よくオルザドークが水でこすると、跡形もなく治った。
(乱暴者!)
と心で思いながらも、感謝した。助けてもらってばかりだ。すると、腕を捕まれた。乱暴に引っ張り、下水脇の通路の曲がったところで、突き飛ばされた。
「お、おいシャナンス!」
チャスが駆け寄ると、霧に包まれて隔離され、オルザドークと二人きりになった。
「何するんですか? チャスは!」
完全にチャスが見えなくなった。
「勝手にいなくなってどういうつもりだ」
冷たい口調は、要姫にそっくりだ。
「それは」
黙りこくるしかなかった。オルザドークの言いたいことはすぐに理解できた。元はと言えば、バロピエロにそそのかされてしまった自分が悪いのだ。
「バロピエロに会ったそうだな。何を言われたのかは想像がつく。ジークが広場にいる。早くあいつを殺したい。そう思ったのか?」
全くその通りだ。広場に行かなければジークに捕まることもなかった。
「黙っているところを見るとそうなんだな」
鋭い眼光に射止められて、目を合わしていられない。
「身を持って分かっただろ。勝手な行動を取るとどうなるか。おい、ちゃんと見ろ!」
胸倉を捕まれ、壁に押し当てられた。オルザドークがこんなに怒るなんて想像しなかった。
「自業自得だと思ってます」
「それだけか? 殺されてたかもしれないんだぞ!」
「すみません。分かってます」
反省している。迷惑もかけてしまったし、この人は本当は心優しくて、心配してくれていたのかもしれない。オルザドークを心のどこかで毛嫌いしていて、今まで自分のことを親身に考えてくれない人だと誤解していた。
「魔法までかけることないだろ?」チャスが霧を手で振り払って現われた。
「分かってるだと? お前は何も分かっていない。これっぽっちもな。分かっていたんなら、さっきのことも起きなかった。それに、自分がやろうとしていることが間違っていると気づく」
いきなり何を言い出すのだろう。すごく間抜けな顔をしていたらしく冷笑された。
「お前はもう少し賢いやつだと思っていた。どうも俺の見込み違いのようだ」
「誰も見込んでもらおう何て思ってないよ」
このときばかりは反抗した。これまでそんな風に見ていたのか?
「ずっと言わなかったが、今のお前じゃジークは倒せない」
下水の流れる音だけになった。
「どうして? あんなに練習したのに!」
すがるような思いは小さな声にしかならなかった。
「復讐でジークは倒せない」
何故? 分からない。どんな方法でも、ジークを倒せればそれでいい。それこそあいつの好きそうなやり方でも、あいつが死ねばそれでいいんだ!
チャスがこっちに視線を送ったので、気になった。ああそうか、チャスは心が読める。考えていたことを見抜いたんだ。でも気にしない。どの道この気持ちが変わることはないのだから。
「復讐っていうのは、自分の人生を潰すことになる」
この人の説教だけはうんざりだ。
「僕の人生はもうジークに潰されてる! もう僕の時間はほとんどない」
「じゃあ聞くが、そのほとんどない時間、お前は何のために生きている?」
(何のため?)
「答えられないのか?」
「僕はあいつを殺すために生きています」
刺激させたのは確かだ。本当のことを言ったまで。後悔しない。ところがオルザドークは怒鳴らなかった。冷たい目で見据えられただけだ。
「それなら勝ち目はないだろうな」こう言い残して、オルザドークは地上のマンホールへと上っていった。
気まずい中チャスと並んでいた。
「あいつの言い分も確かに正しいと思うんだ」
「チャス。僕の気持ちは誰にも変えられない」
痛みはない。自分は傍観しているだけで、生まれたての赤ん坊みたいな気分だ。
「そこの水をくんで来い」
オルザドークがチャスにコップを抱えさせる。
「下水道の水を!?」
悪臭を放つ泥水をしぶしぶすくう。
「まさか飲ませたりしないよな」
オルザドークがそれに指を漬けると、水が澄んだ。水で塗らした指で、オルザドークが僕の肩の傷口をなぞった。
さっきまでのだるさが吹き飛び、焼けたような痛みが走る。オルザドークがジークに見える。いや、ジークだ! ジークの手を蹴ろうとして、さっきまで痛みを感じていなかった全身が悲鳴を上げた。
「動くな!」
酷く怒られた気がして、焦点がオルザドークと合う。ジークではない。勘違いをしていた。
「痛いのは初めだけだ。もう、肩の傷は塞がってるだろ」
こんなオルザドークは初めて見た。目が怒りで、らんらんとしている。呪文を唱える目も真剣そのものだ。指があばらに触れると、光が覆って痛みが抜けていった。
「治ったが、問題はこっちだ」
まだ爪のところに釘が刺さっていていた。気にならなかったが、目にしたとたんに痛み出した。
「それはお前の爪が伸びないよういするために刺したようだ。それと、俺達にお前の居場所を、分からなくさせるために、気配を消す働きもあったようだ。全く念の入ったやつだなジークは」
「これを抜いたらジークに居場所が分かるってことか?」
「さあな」と、言ってオルザドークは力いっぱい釘を引き抜いた。遠慮もなく抜いたので、とてもじゃないが叫ばずにはいられない。
「黙ってろ」
すぐに治療してくれたが、目に涙が浮かぶ。手際よくオルザドークが水でこすると、跡形もなく治った。
(乱暴者!)
と心で思いながらも、感謝した。助けてもらってばかりだ。すると、腕を捕まれた。乱暴に引っ張り、下水脇の通路の曲がったところで、突き飛ばされた。
「お、おいシャナンス!」
チャスが駆け寄ると、霧に包まれて隔離され、オルザドークと二人きりになった。
「何するんですか? チャスは!」
完全にチャスが見えなくなった。
「勝手にいなくなってどういうつもりだ」
冷たい口調は、要姫にそっくりだ。
「それは」
黙りこくるしかなかった。オルザドークの言いたいことはすぐに理解できた。元はと言えば、バロピエロにそそのかされてしまった自分が悪いのだ。
「バロピエロに会ったそうだな。何を言われたのかは想像がつく。ジークが広場にいる。早くあいつを殺したい。そう思ったのか?」
全くその通りだ。広場に行かなければジークに捕まることもなかった。
「黙っているところを見るとそうなんだな」
鋭い眼光に射止められて、目を合わしていられない。
「身を持って分かっただろ。勝手な行動を取るとどうなるか。おい、ちゃんと見ろ!」
胸倉を捕まれ、壁に押し当てられた。オルザドークがこんなに怒るなんて想像しなかった。
「自業自得だと思ってます」
「それだけか? 殺されてたかもしれないんだぞ!」
「すみません。分かってます」
反省している。迷惑もかけてしまったし、この人は本当は心優しくて、心配してくれていたのかもしれない。オルザドークを心のどこかで毛嫌いしていて、今まで自分のことを親身に考えてくれない人だと誤解していた。
「魔法までかけることないだろ?」チャスが霧を手で振り払って現われた。
「分かってるだと? お前は何も分かっていない。これっぽっちもな。分かっていたんなら、さっきのことも起きなかった。それに、自分がやろうとしていることが間違っていると気づく」
いきなり何を言い出すのだろう。すごく間抜けな顔をしていたらしく冷笑された。
「お前はもう少し賢いやつだと思っていた。どうも俺の見込み違いのようだ」
「誰も見込んでもらおう何て思ってないよ」
このときばかりは反抗した。これまでそんな風に見ていたのか?
「ずっと言わなかったが、今のお前じゃジークは倒せない」
下水の流れる音だけになった。
「どうして? あんなに練習したのに!」
すがるような思いは小さな声にしかならなかった。
「復讐でジークは倒せない」
何故? 分からない。どんな方法でも、ジークを倒せればそれでいい。それこそあいつの好きそうなやり方でも、あいつが死ねばそれでいいんだ!
チャスがこっちに視線を送ったので、気になった。ああそうか、チャスは心が読める。考えていたことを見抜いたんだ。でも気にしない。どの道この気持ちが変わることはないのだから。
「復讐っていうのは、自分の人生を潰すことになる」
この人の説教だけはうんざりだ。
「僕の人生はもうジークに潰されてる! もう僕の時間はほとんどない」
「じゃあ聞くが、そのほとんどない時間、お前は何のために生きている?」
(何のため?)
「答えられないのか?」
「僕はあいつを殺すために生きています」
刺激させたのは確かだ。本当のことを言ったまで。後悔しない。ところがオルザドークは怒鳴らなかった。冷たい目で見据えられただけだ。
「それなら勝ち目はないだろうな」こう言い残して、オルザドークは地上のマンホールへと上っていった。
気まずい中チャスと並んでいた。
「あいつの言い分も確かに正しいと思うんだ」
「チャス。僕の気持ちは誰にも変えられない」