145.取引

文字数 1,508文字

 「何を言い出すんですか突然」


 顔を背けて笑うが、それが証拠だ。結局、バロピエロもジークの言いなりなのだ。



 「僕に力を貸してくれたら、ただでジークの依頼を聞かなくてすむ。お前の命も保障する」


 おしゃべりが過ぎた。血走った目のバロピエロに襟首(えりくび)をつかまれ、檻に叩きつけられた。全身が、燃えるように悲鳴を上げる。


 「つまり、私の弱みにつけ込んで取引するつもりですか? そうはいきませんよ。私は、好きでジークの依頼を引き受けているんですから。分かりませんか?」


 反論しようにも、首が襟につかえて上手く話せない。


 (報酬をもらえないのは事実だろ!)


 バロピエロの手がわずかに緩んだ。一瞬、血走っている瞳に、暗い影が見えた。こいつはチャスと同じで、心が読めるのだ。声が出なくても会話はできる。ためらいがちに、黙ったまま話しかけてみる。


 (もうお前を責めたりしない。完全に忘れ去ることはできないけど。誤解してたことは謝る。だから、力を貸して欲しい)


 不思議なことに、バロピエロの顔が悲しげに見える。頬の筋肉は、どれ一つ動いていないのに。蝋人形でも、ここまで固まった表情ではない。それが何故、切ないのだろうか。



 「君の話も悪くありません」


 限りなく、優しい声だった。生まれて初めて対面した赤ん坊に話しかける母親のようだ。


 胸の痛みが、体の痛みがほぐれる気がする。しかし、バロピエロが釘を刺した。夢見心地な世界を見るなと。


 「ですが、君を生かした場合、ジークの依頼をまっとうしなかったときのリスクと比べたら、何てことない話なんですよ。それとも本当に私を守るつもりですか? さっきまで憎んでいた私を?」


 まだ自信はない。だけど、お互いが敵対意識を持ったままでは、それこそ、一生憎み続けないといけない。どういう言葉で伝えようか悩んでいると、バロピエロが鼻を鳴らした。


 「苦し紛れのようにしか聞こえませんが。まあ、よしとしましょう。一応、広場での出来事ですが、ジークに見つからずに君がジークのもとに辿り着くと、賭けた仲です」


 ということは交渉成立か? すぐにでも踊り出したい気分だ。まだチャンスはある。早くジークの元へ行かないと。


 顔が浮かれているのか、バロピエロが遠まわしに不機嫌に言った。

 「協力するわけではありません。すぐに、後悔するでしょう。大きすぎるプレッシャーに押し潰されなければいいんですけどね」


 その矢先、バロピエロの両手が、背中を貫いた。息が止まる。痛みはないし、血も出ないが、体がのけ反る。


 「依頼を引き受けましたよ。報酬はジークを倒すということで。もし失敗すれば、君は死後も呪いから解放されることはないでしょう」



 手が抜かれた勢いで、後ろに倒れそうになる。背中に痛みがある。ナイフのような痛み。この痛みは知っている。まさか、呪い? バロピエロがにんまりと笑う。


 「新たな呪をかけました。胸にある『寿命の符』と似ていますが、背中にあるのは、あの世用です。地獄を永遠にさまようことになれば、当然この呪いもつきまといますから。ジークに負けないよう、頑張ることですね」



 この体には、二つも呪いがあるのか! 



 「勝たせてくれるんじゃなかったのか?」

 ふざけた道化にもほどがある。どこまでも信用できない男だ。


 「この取引は命を扱いますから、これで公平ということですよ。ほら、早く額を貸して下さい」


 無理やり額をつかまれる。こんなことなら、いっそ死んだほうがましだった気もする。


 バロピエロと溶け合う仲になるには、程遠い。白い手袋がパントマイムのように揺らめいて、視界を遮断したり、開けたりする。本当に力を貸してくれる気はあるのか?
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