59.魔法の練習
文字数 3,313文字
胃が激しく痛み始めた。また犠牲者を出したのか?
「何があったの? 僕、何をしたの?」
当惑したようにチャスは耳を垂れた。
「バレは何も悪いことはしてない。言い方が悪かったな。俺が悪いんだ。お前を迎えに行ったんだ。そしたら、お前が底なしの沼の方へ行くから。引っ張っても俺の話しを聞かなくて危なかったから、その、何と言うか、気絶させるしか」
そんな、沼になど行った記憶はない。とうとう、本当に頭がいかれてしまったのか。
重い空気の漂う中をオルザドークが何の感情移入もせず話し出した。
「今薬を作ってる。三日でできる。だが、自分が何をしていたかも思い出せないんなら、時間がないかもしれない。ちょっと診せろ」
オルザドークにいきなり胸倉をつかまれた。本当にチャスの友達か?
「制限時間つきってわけか」
「何だって?」チャスフィンスキーでさえ、理解できない様子だ。
オルザドークが見ているのは僕の胸にある黒い線だった。バロピエロにつけられた呪い。
「随分進行が早いな。寿命が縮んでる。もって二週間、悪くて一週間だ。」
そんな馬鹿な。バロピエロが言ったのは一ヶ月だ。
チャスもまじまじと眺めてくる。誰がこの呪いを、と言いたそうだ。
「バロピエロにやられた」
「この呪いは個人差があるが、痛みに反応し、進行する。それに、呪いをかけた本人しか解くことができない」オルザドークが淡々と告げた。
「そんな!」
絶望的だ。バロピエロに会うだけで寒気がするというのに。
「厄介だな。何でバロピエロがジークに肩入れを?」とチャス。
「やつは肩入れなどしない。常に中立主義だ」
オルザドークの言うことはとても信じられなかった。あの薄っぺらい作り笑いのどこが、公平さを持ち合わせているというのだ?
「あいつはジークの仲間じゃないか」
確信していると言ってもいい。ジークの仲間と共に襲ってきたのは事実だ。
「そう見えるだろうな」オルザドークはそれ以上言わなかった。
話が途切れてしまったので、チャスが気をきかして紅茶を用意してくれた。でも僕の手の紅茶が震えている。
「僕はどうすれば」
「今のところ手はない。残りの時間をどう使うかはお前次第だ」
残りの時間。今はあまり危機感はない。でも、やることがあるとするならばそれは一つだ。
「オルザドークさん。ジークはどこにいるか知ってますか?」
「何を言い出すんだ!」チャスが驚いて叫んだ。
「人間には戻れないし呪いも解けないんだよね? だったらあいつを倒す。グッデのためになるかは分らないけど」
チャスはうつむき加減にこちらを伺っている。
「分かってるのか? 相手は悪魔だぞ」
これまで恐ろしい目にはたくさんあってきたけど、ジークだけは許しておけない。あの余裕の笑みが腹立たしい。その名を知った瞬間から、以前にも増して、あいつが憎い。
「どうして僕が悪魔にならなければいけないのか、どうやったら戻せるのか、ジーク自身の口から聞き出したい」
これで誰も文句はないはずだ。しかし、オルザドークが腕組みをして冷ややかな目をするのは、何故だろう。
「言っとくが奴は魔界にいる」
平然と言ってのけたオルザドーク。どこまで世の中はあり得ないのだろう。
「行く覚悟はあるのか? ジークとやるとなったら魔界に宣戦布告するようなもんだ。それに呪い、わざわざバロピエロが出向いたとなると、罠だろうな」
一通り言い終えるとオルザドークは大きな欠伸をした。この人とはどこか話しにくい。
「魔物と、怪物だらけだぞ。そいつらをジークは指揮っている。いわば魔界はジークの庭だ。今のまま行くのは危険すぎる」
それだけぶっきらぼうに告げると、オルザドークは紅茶に手もつけず部屋を出て行った。
夜になってもオルザドークは薬を作り続けて部屋にこもっている。薬ができるまでは三日。これには正直参る。
一週間という命の時間は何と短いんだろうと感じ始めたのは、ジークのことが頭を過ぎりはじめたからだ。
それにいつ自分を見失うのか不安だ。赤いものに反応するので赤いものを始末し、チャスの家を大きく模様替えするほどだ。と言っても魔法を持ってすれば、数秒で家具の位置はチャスの思いのままだ。
三日の間、魔法と戦い方をチャスに教わることになった。今すぐ練習したかったけれど、夜遅いからと許してくれなかった。その代わり、今までよく分らないことをあれこれ聞いた。
「何でジークは僕を悪魔にしたかったんだろう」
「分らない。でも何か意味があるんだろうな」
もやもやした感じが残ってしまう。明るい話題にすればよかったかった。
「何で血じゃなくても赤いものを見たらおかしくなるんだろう」
「何故自分を見失うのか? さっきシャナンスから聞いたんだけど、悪魔は血を欲しがる。それと破壊を好む。そういう本能があるらしいんだ」
また気分がどんより曇った。察したチャスは慌てて言葉を探している。
「要は、赤い物を見たら壊すってことだな」
階段を上がってきたオルザドークがあまりにはっきりと説明するのでチャスがたしなめた。
「で、薬をほっといて何しに来たんだ?」心なしかチャスが意地悪になった。
「呪文の単語ぐらいなら寝る前に覚えられるだろ」と本を投げてきた。何百ページにも及ぶ単語集だ。
昨日は必死で本を読みきった。徹夜はするなとオルザドークに言われていたが、一度読むとやめられなかった。今まで魔法を正しく使えたこともなかったし、驚くことばかりだったが、思っていたより簡単だ。呪文は単語と文に分けられ、組み合わせ方によって変化する。
オルザドークによると、文になっている魔法は上級者向けだし、現在ではあまり使われないそうだ。現在の呪文は簡略化され、誰でも発音さえできれば簡単にできるものになっている。
朝には、小さなコップを浮かしたり、食器を水に洗わせたりできるようになった。特に、火をおこすのが上手いとチャスは誉めてくれた。
今日の練習は実際に魔法を、戦いで使えるレベルにまでもっていくのが目標だ。これにはチャスも早いんじゃないかと言いたそうだったが、ジークを倒すならこれくらい早くしないといけない。
ジークの強さをこの目で見ている。オルザドークは口を出さなかった。大魔術師は薬を鍋で煮込んでいて忙しいらしい。
まず昨日のおさらいを軽くした。もちろん、チャスには徹夜したことを黙っていたので、見ていないところでやった。次に魔法の威力の上げ下げを練習した。
「見て分かりやすい呪文にしよう。火の呪文がいいかな」
「アウス」
用意したロウソクに火をつけた。チャスも自分のロウソクにつける。
「よく見とけよ。上に燃えろって手で押し上げてあげる感じだ」
はたから見ると手招きのようだ。ロウソクはじりじり音を立てた。上に火が伸びていく。チャスの手も上がっていく。空を掴む。それを合図にロウソクは炎に包まれた。溶けたロウが地面に広がる。
「すごい」
負けまいと、手に力が入る。ロウソクはずっと同じ調子で燃えている。
「最初はゆっくりだ。自分が燃やしているのを感じとるんだ」
チャスの言っていることは分かるようで分かりにくい。炎は揺れていて、自分がやっているのか風に流されているだけなのか分からない。
燃えて欲しい。時間がないのだ。手を空に突き上げる。ロウソクが火を噴いた! 火花を散らし爆弾みたいな音を立てたので、二人で飛びのいた。
「あはははは。すごいぞ。いい感じだな」
怒られるかと思った。ひとまずこれでよかったのか? 誰も怪我をしていないか見やると、遠くでオルザドークが見に来ていたことに気づいた。
どこか睨まれているような気がした。目が合うと黙って薬を作りに家に入っていく。オルザドークはそれっきり家に閉じこもっている。
練習の方は順調で、だいぶ炎の使い方が安定してきたので、休憩になった。
チャスが差し入れを持ってきた。パンケーキを焼いてくれた。いつになく、たくさん頬ばってしまう。
今まで吹きさらしになっていた、いつの間にかできていた、胸に開いた大きな穴が少しだけ小さくなった気がした。
「何があったの? 僕、何をしたの?」
当惑したようにチャスは耳を垂れた。
「バレは何も悪いことはしてない。言い方が悪かったな。俺が悪いんだ。お前を迎えに行ったんだ。そしたら、お前が底なしの沼の方へ行くから。引っ張っても俺の話しを聞かなくて危なかったから、その、何と言うか、気絶させるしか」
そんな、沼になど行った記憶はない。とうとう、本当に頭がいかれてしまったのか。
重い空気の漂う中をオルザドークが何の感情移入もせず話し出した。
「今薬を作ってる。三日でできる。だが、自分が何をしていたかも思い出せないんなら、時間がないかもしれない。ちょっと診せろ」
オルザドークにいきなり胸倉をつかまれた。本当にチャスの友達か?
「制限時間つきってわけか」
「何だって?」チャスフィンスキーでさえ、理解できない様子だ。
オルザドークが見ているのは僕の胸にある黒い線だった。バロピエロにつけられた呪い。
「随分進行が早いな。寿命が縮んでる。もって二週間、悪くて一週間だ。」
そんな馬鹿な。バロピエロが言ったのは一ヶ月だ。
チャスもまじまじと眺めてくる。誰がこの呪いを、と言いたそうだ。
「バロピエロにやられた」
「この呪いは個人差があるが、痛みに反応し、進行する。それに、呪いをかけた本人しか解くことができない」オルザドークが淡々と告げた。
「そんな!」
絶望的だ。バロピエロに会うだけで寒気がするというのに。
「厄介だな。何でバロピエロがジークに肩入れを?」とチャス。
「やつは肩入れなどしない。常に中立主義だ」
オルザドークの言うことはとても信じられなかった。あの薄っぺらい作り笑いのどこが、公平さを持ち合わせているというのだ?
「あいつはジークの仲間じゃないか」
確信していると言ってもいい。ジークの仲間と共に襲ってきたのは事実だ。
「そう見えるだろうな」オルザドークはそれ以上言わなかった。
話が途切れてしまったので、チャスが気をきかして紅茶を用意してくれた。でも僕の手の紅茶が震えている。
「僕はどうすれば」
「今のところ手はない。残りの時間をどう使うかはお前次第だ」
残りの時間。今はあまり危機感はない。でも、やることがあるとするならばそれは一つだ。
「オルザドークさん。ジークはどこにいるか知ってますか?」
「何を言い出すんだ!」チャスが驚いて叫んだ。
「人間には戻れないし呪いも解けないんだよね? だったらあいつを倒す。グッデのためになるかは分らないけど」
チャスはうつむき加減にこちらを伺っている。
「分かってるのか? 相手は悪魔だぞ」
これまで恐ろしい目にはたくさんあってきたけど、ジークだけは許しておけない。あの余裕の笑みが腹立たしい。その名を知った瞬間から、以前にも増して、あいつが憎い。
「どうして僕が悪魔にならなければいけないのか、どうやったら戻せるのか、ジーク自身の口から聞き出したい」
これで誰も文句はないはずだ。しかし、オルザドークが腕組みをして冷ややかな目をするのは、何故だろう。
「言っとくが奴は魔界にいる」
平然と言ってのけたオルザドーク。どこまで世の中はあり得ないのだろう。
「行く覚悟はあるのか? ジークとやるとなったら魔界に宣戦布告するようなもんだ。それに呪い、わざわざバロピエロが出向いたとなると、罠だろうな」
一通り言い終えるとオルザドークは大きな欠伸をした。この人とはどこか話しにくい。
「魔物と、怪物だらけだぞ。そいつらをジークは指揮っている。いわば魔界はジークの庭だ。今のまま行くのは危険すぎる」
それだけぶっきらぼうに告げると、オルザドークは紅茶に手もつけず部屋を出て行った。
夜になってもオルザドークは薬を作り続けて部屋にこもっている。薬ができるまでは三日。これには正直参る。
一週間という命の時間は何と短いんだろうと感じ始めたのは、ジークのことが頭を過ぎりはじめたからだ。
それにいつ自分を見失うのか不安だ。赤いものに反応するので赤いものを始末し、チャスの家を大きく模様替えするほどだ。と言っても魔法を持ってすれば、数秒で家具の位置はチャスの思いのままだ。
三日の間、魔法と戦い方をチャスに教わることになった。今すぐ練習したかったけれど、夜遅いからと許してくれなかった。その代わり、今までよく分らないことをあれこれ聞いた。
「何でジークは僕を悪魔にしたかったんだろう」
「分らない。でも何か意味があるんだろうな」
もやもやした感じが残ってしまう。明るい話題にすればよかったかった。
「何で血じゃなくても赤いものを見たらおかしくなるんだろう」
「何故自分を見失うのか? さっきシャナンスから聞いたんだけど、悪魔は血を欲しがる。それと破壊を好む。そういう本能があるらしいんだ」
また気分がどんより曇った。察したチャスは慌てて言葉を探している。
「要は、赤い物を見たら壊すってことだな」
階段を上がってきたオルザドークがあまりにはっきりと説明するのでチャスがたしなめた。
「で、薬をほっといて何しに来たんだ?」心なしかチャスが意地悪になった。
「呪文の単語ぐらいなら寝る前に覚えられるだろ」と本を投げてきた。何百ページにも及ぶ単語集だ。
昨日は必死で本を読みきった。徹夜はするなとオルザドークに言われていたが、一度読むとやめられなかった。今まで魔法を正しく使えたこともなかったし、驚くことばかりだったが、思っていたより簡単だ。呪文は単語と文に分けられ、組み合わせ方によって変化する。
オルザドークによると、文になっている魔法は上級者向けだし、現在ではあまり使われないそうだ。現在の呪文は簡略化され、誰でも発音さえできれば簡単にできるものになっている。
朝には、小さなコップを浮かしたり、食器を水に洗わせたりできるようになった。特に、火をおこすのが上手いとチャスは誉めてくれた。
今日の練習は実際に魔法を、戦いで使えるレベルにまでもっていくのが目標だ。これにはチャスも早いんじゃないかと言いたそうだったが、ジークを倒すならこれくらい早くしないといけない。
ジークの強さをこの目で見ている。オルザドークは口を出さなかった。大魔術師は薬を鍋で煮込んでいて忙しいらしい。
まず昨日のおさらいを軽くした。もちろん、チャスには徹夜したことを黙っていたので、見ていないところでやった。次に魔法の威力の上げ下げを練習した。
「見て分かりやすい呪文にしよう。火の呪文がいいかな」
「アウス」
用意したロウソクに火をつけた。チャスも自分のロウソクにつける。
「よく見とけよ。上に燃えろって手で押し上げてあげる感じだ」
はたから見ると手招きのようだ。ロウソクはじりじり音を立てた。上に火が伸びていく。チャスの手も上がっていく。空を掴む。それを合図にロウソクは炎に包まれた。溶けたロウが地面に広がる。
「すごい」
負けまいと、手に力が入る。ロウソクはずっと同じ調子で燃えている。
「最初はゆっくりだ。自分が燃やしているのを感じとるんだ」
チャスの言っていることは分かるようで分かりにくい。炎は揺れていて、自分がやっているのか風に流されているだけなのか分からない。
燃えて欲しい。時間がないのだ。手を空に突き上げる。ロウソクが火を噴いた! 火花を散らし爆弾みたいな音を立てたので、二人で飛びのいた。
「あはははは。すごいぞ。いい感じだな」
怒られるかと思った。ひとまずこれでよかったのか? 誰も怪我をしていないか見やると、遠くでオルザドークが見に来ていたことに気づいた。
どこか睨まれているような気がした。目が合うと黙って薬を作りに家に入っていく。オルザドークはそれっきり家に閉じこもっている。
練習の方は順調で、だいぶ炎の使い方が安定してきたので、休憩になった。
チャスが差し入れを持ってきた。パンケーキを焼いてくれた。いつになく、たくさん頬ばってしまう。
今まで吹きさらしになっていた、いつの間にかできていた、胸に開いた大きな穴が少しだけ小さくなった気がした。