55.串刺し

文字数 2,569文字

 ゾクッとするものが背中を滑るように伝っていった。胸騒ぎが体中を覆っていくようなジリジリとしたこの戦慄。その一方でジークの笑みはこぼれるように優しさが現れていた。


 ただしその優しさは表面だけだ。確かに見てとれた。ジークの瞳の奥で輝く闇を。


 殺意とも呼べるのだろうが、それだけではない何かを秘めた黒い輝き。




 なぜだろう? 目が離せない。吸い寄せられるように見入ってしまう。じっと。ただじっと。こいつは僕を引き寄せる何かを持っている。目の奥を見れば僕はいずれ飲み込まれてしまいそうだ。



 白いコウモリが、飛び込むように目に映った。体が大きいだけではなかった。それ相応の大きな牙を持っている! 


 ほとんどフェイントを食らった形でとっさに身をかわした。ジークばかりに気を取られていてコウモリが襲って来るなんて夢にも思わなかった。


 (こいつ)


 ジークを睨もうとしたとき、姿がないと気づいた。どこに行った? 辺りを見回しそうとして、息を飲んだ。


 白い髪が頬をかすめた。姿さえ見えなかったが、確かに通り過ぎた。裂かれた。


 解放された血が扇形に床にぶちまかれた。痛みが喉を突き破りそうに声になり、脇腹から流れる血が水溜りのように広がる。やはり血は元に戻らないことを思い知らされ、床に突っ伏した。


 すると、傷にまで響く大きな笑い声がした。ジークが笑っているのかと思ったがジークではない。別の男が天井にいた。


 足を天井につけて逆さまになっている。まるでコウモリだ。暗い中、サングラスをつけた赤い髪の男。爆発で吹っ飛んだような髪で、ベストを着ている。


 「お前自分を不死身だと思ってるのか? 悪魔は魔法やイーヴルで殺せるんだぜ」とその男は笑う。


 「あー分かった。イーヴルの使い方さえ知らないんだろうね?」と言って今度は金髪のポニーテールの男が何もない闇から現れた。この男は知っている。死者の町で会った悪魔のキースだ。


 「何も知らないのよ。ただの子供ね」と階段を上がって来たのは女で、ランニングシャツに明細柄のズボンといった軽い服装。髪は赤に近いが紫がかっていて赤紫といった具合。


 「ロミオは来ないか。まあどうでもいい。これでメンバーがそろった」


 ジークはそう言うなり見下すように僕の面前に立った。


 「紹介するぜ。サングラスがゲリー。ポニーテールがキース、知ってるだろ? で、最後がベザン」


 どうやらまずい状況になった。まさかこんなにたくさんの悪魔が出てくるとは思わなかった。どうしたらいいのかと必死になって考えたがいい案が出ない。動くことさえ困難なのだ。話を長引かせて策を練るしかない。


 「さっきの、イーヴルの使い方って?」


 斬られたところを押さえながら息も絶え絶えに聞くと、再び肩にコウモリを乗せたジークがかがんで、じっくりとこっちを眺めた。


 「イーヴルっていうのは、邪悪な魔力のことだ。上手く使えばそりゃもう、消えたり飛んだり何でもできる。悪魔も、お前も殺せる」


 鋭く黒い爪を見せつけてたジークがいきなり僕の首をつかむ。ひどく冷たい手。片手なのに、両手でも動かせないほど、強い力でびくともしない。


 左頬が人差し指の爪で、縦にひっかかれた。流れ出た血を見てジークが独り言のようにつぶやいた。「まだだな」


 何がまだなのか分からないが、ジークの目の色が変わった。



 「どうやって殺してほしい? 希望を聞こうか?」



 おもしろくてたまらないといった様子で、牙のような歯を見せて笑う。


 「お前を殺すことなんて簡単だ。軽く絞めあげればいい」などと言って、いっそう手に力が込められる。いよいよ息が苦しくなってきた。息もかすれる。


 「でも、もっとおもしろい方法がある。希望がないのなら好きにさせてもらうぜ」


 最初からそのつもりだったのだろう。返答する前に首を持ち上げられて、足が宙に浮く。それを囲むようにジークの仲間達がおもしろそうに見守っている。ただ一人ベザンだけはつまらなさそうだったが。


 壁に押しつけられ、足をばかりばたつかせていると、ジークのジャケットの袖からヘビのように鎖が現れた。


 鎖は意思があるかのように足から全身へと、這ってくる。来るな! と必死であがいても足が絡まる。


 鎖は先端が鋭く長い杭になっている。そこをジークは手に持ち、顔色を窺ってくる。



 言いようがないのだが、恐怖以上のものがあった。自分自身に絶望した。グッデを殺してしまい、自分も死のうと思った。なのに今、この瞬間に至って、死を恐れている。何てずうずうしくて、醜い考えなんだろう。自分に度胸があればさっさと殺せと罵ることもできるはずなのに。


 吃音しか出せなくなった僕の喉や、僕の歪んだ目を覗き込んでジークはわざと驚いた顔をする。



 「おっと、まさか死ぬ覚悟でもしてるのか? 一思いに殺されるって? バレ、いくらなんでもそれはないだろう。オレとお前の仲だ。楽には殺さないぜ」

 白い髪が覆いかぶさった。同時にジークのあざ笑う笑み、鎖の先端が順に視界を通りすぎた。




 胸を突き破ってきた杭。骨が肋骨が砕けた音と、肺の潰れた鈍い音。飛び散った血が絶叫する自分の口に入る。


 まだ終わらない。胸の圧迫感はさらに押し込まれて心臓まで到達する。脈打つ音が耳まで聞こえてくる。


 自分の叫んでいる声は塔まで響き渡って何人もの自分が叫んでいるように聞こえる。



 耐えられない。



 早く殺してくれとさえ思った。


 喉が先に枯れて笛みたいな音を発することしかできない。息も吸えない。吸い込んでも風の音になるだけだ。




 視野がぼやけてきて、ジークが首を傾げて微笑んでいるのが見えた。そっと顔を近づけ、猫なで声で話しかけてくる。


 「ちょっと痛いか? イーヴルは少ししか使ってないから安心しな。逃げたければ逃げればいい。でも心臓に串刺しじゃ動けないか」


 意識がなくなりそうで、そう簡単になくならなかった。自分の血がだらだらと流れ落ちていくのが分かる。痛みでより鮮明になる。ときどき暗転する視界。


 息ができないのに、悪魔の生命力でもって、自分は意識が飛ぶことも許されないのか。



 「オレ以外のやつに殺されるなよ」



 最後にそう言い残して悪魔達は一人、また一人と空間に黒い穴を開けて消えていく。


 笑い声がいつまでも耳に反響した。ジークの勝ち誇った声が。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み