134.最高の苦痛
文字数 1,904文字
何も思い描けない。
頭が真っ白になって、グッデの輪郭がかすむ。
これ以上何も失うものはないと思っていた。背中から胸まで爪が貫通するまでは、グッデが生きていてくれたことだけでもそれでよかったのに、僕はとんだ間違いを犯している。
グッデが僕を傷つけるはずがないという妄信。いや、僕には否定することしかできない。
「嘘だ」
自分の声が遠くで弱々しく聞こえる。心の隅で恐れていたことが現実となって、唇がわなわなと震える。
「嘘じゃない。感謝しろよ。お前の願いを叶えてやったんだぜ。わざわざ生き返らせて、ついでに悪魔にしてやったけどな」
嘘だとつぶやくのもやっとのことだった。自分の声にもう説得力はない。
「あくまで認めない、か。ならしょうがない。やれ、グッデ」
グッデに裂かれた背に、再び痛烈な痛みが走る。両腕は解放されたが、グッデに背中を蹴られたため、ジークの足元に転がる。それでも信じられない。グッデの笑みがジークと同じだからだ。
「僕が分からないの?」
ジークから離れながら問いかける。しかし、グッデは悪魔的な独特の口の歪め方をして、近づいてくる。
「無駄だバレ。グッデはお前と違って、闇色 だ。お前のことも忘れてるぜ」
これ以上、穴の開くところがない胸に隙間風が差し込んだ。不思議と痛みはない。ただ夕日を見るより悲しくて、夜になって子供が寝静まるより虚しい。伝えたいことが水の泡となって消えていく。
傍にいるのはグッデであり、グッデではない。表情だけがジークだ。よからぬことを考え、歩み寄る姿は悪魔そのものだ。
「グッデ。何も覚えてないの? 本当にあいつの言いなりなのか?」
自分の声なのに他人のように聞こえた声が震えながら最後の抵抗を試みる。手の届く範囲までグッデが迫った。この距離で飛び蹴りだ。
顔の前に出された足を見て現実に戻った。かろうじて飛びのいた。だが、休む間もなく次に繰り出された拳に捕まる。胸にある呪いを撃たれた。殴られたと言うより、ナイフで裂けたような痛みだ。あえいだまま、床に突っ伏す。
ここまで死の呪いが進行していたとは思わなかった。
「お前のこと何か覚えてねぇよ。昔と違うのが分からねぇの?」
無表情なグッデの口だけが笑う。恐ろしい夢を思い出す。グッデを追いかけていくと、ジークに変わった夢だ。
「分からないんだろうよ、グッデ。ライブ前に何で捕まったかも知らないんだからな」
そう言えばライブ直前の広場から逃げた後も夢を見た。グッデを追いかけて、行き止まりに着いた。そこでグッデを見失って、蝶が飛んできた。
また、グッデが離れていく夢を見て、目が覚めたら捕まっていた。ジークはそのことを言っているのか。この不可解な夢も、透視で知っていたのか?
「夢でも見たんだろ?」
嘲笑うジーク。夢を見て何が悪い。思い出して何が悪い? 悪夢に変わるのは、ジークのせいだ。
ただ、ライブの日、あの夢の後、自分は捕まっていた。あそこだけ記憶がない。いつも夢ばかり見るから現実と区別がつかなくなっていたというのか?
泣き出しそうで泣き出せない、渋い顔を堪えていたのがジークに悟られた。
「今頃気づいたか。そうだバレ、オレはあのとき一回だけこいつを使ってお前を誘き出した。ベザンの待つ袋小路までな」
あれが夢ではなく現実だったと思うと胃がねじれそうだ。グッデを利用したことが何より許せない。
「僕だけじゃ飽き足らなかったのか? グッデを悪魔にする必要はなかっただろ!」
すると、グッデが笑い、天井にいるディグズリーでさえ鳴き声をもらした。
「そうもいかないんだ。お前に最高の苦痛を味わわせようとすると、グッデは欠かせない」
血が沸き立った。煮えたぎったら、もう自分でも止められない。黒く渦巻くような血が全身をめぐっていく。
ドロドロとした醜い感情が肌を舐めていく。別の体に塗り替えられていく感覚に気づく余裕はなかった。瞳孔はジーク以外の世界を遮断してしまった。
「この悪魔ああああああああ!」
息の根を止めるべく、爪を限界まで解放する。突き進むと、ジークは影もなく、姿を消す。現われたと思ったら、また消える。あざ笑う声が耳を突く。
「おれを忘れてるぜ」
グッデの声が脳天を射抜く。振り返ると、爪が腕をかすめた。自分の飛び散った血が黒に変わっている血が見えたが、気にしている余裕はない。拳が頬を打った。
ジークほどの力はないが、床に転がらせるぐらいの力があった。悪魔になると力が増すのか。
ジークが嫌らしく笑う。甘い口調に危険な言葉も添え足して。
「立ってもらおうか。その方がグッデもお前をいたぶりやすい」
頭が真っ白になって、グッデの輪郭がかすむ。
これ以上何も失うものはないと思っていた。背中から胸まで爪が貫通するまでは、グッデが生きていてくれたことだけでもそれでよかったのに、僕はとんだ間違いを犯している。
グッデが僕を傷つけるはずがないという妄信。いや、僕には否定することしかできない。
「嘘だ」
自分の声が遠くで弱々しく聞こえる。心の隅で恐れていたことが現実となって、唇がわなわなと震える。
「嘘じゃない。感謝しろよ。お前の願いを叶えてやったんだぜ。わざわざ生き返らせて、ついでに悪魔にしてやったけどな」
嘘だとつぶやくのもやっとのことだった。自分の声にもう説得力はない。
「あくまで認めない、か。ならしょうがない。やれ、グッデ」
グッデに裂かれた背に、再び痛烈な痛みが走る。両腕は解放されたが、グッデに背中を蹴られたため、ジークの足元に転がる。それでも信じられない。グッデの笑みがジークと同じだからだ。
「僕が分からないの?」
ジークから離れながら問いかける。しかし、グッデは悪魔的な独特の口の歪め方をして、近づいてくる。
「無駄だバレ。グッデはお前と違って、
これ以上、穴の開くところがない胸に隙間風が差し込んだ。不思議と痛みはない。ただ夕日を見るより悲しくて、夜になって子供が寝静まるより虚しい。伝えたいことが水の泡となって消えていく。
傍にいるのはグッデであり、グッデではない。表情だけがジークだ。よからぬことを考え、歩み寄る姿は悪魔そのものだ。
「グッデ。何も覚えてないの? 本当にあいつの言いなりなのか?」
自分の声なのに他人のように聞こえた声が震えながら最後の抵抗を試みる。手の届く範囲までグッデが迫った。この距離で飛び蹴りだ。
顔の前に出された足を見て現実に戻った。かろうじて飛びのいた。だが、休む間もなく次に繰り出された拳に捕まる。胸にある呪いを撃たれた。殴られたと言うより、ナイフで裂けたような痛みだ。あえいだまま、床に突っ伏す。
ここまで死の呪いが進行していたとは思わなかった。
「お前のこと何か覚えてねぇよ。昔と違うのが分からねぇの?」
無表情なグッデの口だけが笑う。恐ろしい夢を思い出す。グッデを追いかけていくと、ジークに変わった夢だ。
「分からないんだろうよ、グッデ。ライブ前に何で捕まったかも知らないんだからな」
そう言えばライブ直前の広場から逃げた後も夢を見た。グッデを追いかけて、行き止まりに着いた。そこでグッデを見失って、蝶が飛んできた。
また、グッデが離れていく夢を見て、目が覚めたら捕まっていた。ジークはそのことを言っているのか。この不可解な夢も、透視で知っていたのか?
「夢でも見たんだろ?」
嘲笑うジーク。夢を見て何が悪い。思い出して何が悪い? 悪夢に変わるのは、ジークのせいだ。
ただ、ライブの日、あの夢の後、自分は捕まっていた。あそこだけ記憶がない。いつも夢ばかり見るから現実と区別がつかなくなっていたというのか?
泣き出しそうで泣き出せない、渋い顔を堪えていたのがジークに悟られた。
「今頃気づいたか。そうだバレ、オレはあのとき一回だけこいつを使ってお前を誘き出した。ベザンの待つ袋小路までな」
あれが夢ではなく現実だったと思うと胃がねじれそうだ。グッデを利用したことが何より許せない。
「僕だけじゃ飽き足らなかったのか? グッデを悪魔にする必要はなかっただろ!」
すると、グッデが笑い、天井にいるディグズリーでさえ鳴き声をもらした。
「そうもいかないんだ。お前に最高の苦痛を味わわせようとすると、グッデは欠かせない」
血が沸き立った。煮えたぎったら、もう自分でも止められない。黒く渦巻くような血が全身をめぐっていく。
ドロドロとした醜い感情が肌を舐めていく。別の体に塗り替えられていく感覚に気づく余裕はなかった。瞳孔はジーク以外の世界を遮断してしまった。
「この悪魔ああああああああ!」
息の根を止めるべく、爪を限界まで解放する。突き進むと、ジークは影もなく、姿を消す。現われたと思ったら、また消える。あざ笑う声が耳を突く。
「おれを忘れてるぜ」
グッデの声が脳天を射抜く。振り返ると、爪が腕をかすめた。自分の飛び散った血が黒に変わっている血が見えたが、気にしている余裕はない。拳が頬を打った。
ジークほどの力はないが、床に転がらせるぐらいの力があった。悪魔になると力が増すのか。
ジークが嫌らしく笑う。甘い口調に危険な言葉も添え足して。
「立ってもらおうか。その方がグッデもお前をいたぶりやすい」