109.無魔の術

文字数 1,292文字

 集中した。痛みを忘れようとする。いや、無理にするからできないんだ。もう気にしない。痛くても苦しくとも、それでいい。観念したと思い込んだゲリーがほくそ笑む。でも、気にしない。辺りが静まり返っていく。夜の訪れのようだ。


 「絶望でもしちまったか? 今から謝っても遅いぜ。俺をここまでイラつかせたガキは、生きて帰れねぇんだよ!」


 解けた。何を捕らえたらよいのか分からなくなった血管が自然に離れていく。しかし、遅かった。ゲリーの蹴りに遭遇する。力も入れられないほど弱っていた体は、なすすべもなく転がった。


 「今、何をしやがった!」


 ゲリーの怒りの中に困惑が見える。でも、最悪だ。せっかく脱したのに、足元がおぼつかないなんて。ついに、膝が折れる。怒り肩でゲリーが接近してくる。


 また捕まったら今度こそ終わりだ。床を這ってでも離れなければ。手で泳ぐつもりでもがく。思うように前に進まない。あっという間に追いつかれ、背中を踏みつけられる。


 「ぐっ」

 「やるじゃねぇかガキのわりに。でもな」


 いとも簡単に、しかもこんな惨めなあり様で捕まった。情けなくて、悔しくて、わなわなと全身が震える。もう少しだったのに。あと、あと、一歩。





 「ガキ。お前の負けだ」


 これまで以上に楽しげに笑うゲリー。僕が動けないことを一番よく分かっているのだろう。ヘヘッと笑って、肩を持ち上げられる。爪が食い込んで、血が滲み出る。


 「離せ!」

 振り払おうとして、転びそうになる僕をゲリーが引き上げる。




 「安心しな。もう俺は手を出さねぇ。とどめを刺すのはジークだ」


 乱暴に引っ張られて、血がさらに溢れる。この部屋の奥へ、引きずっていかれる。このままだったら、あのライブと同じだ。


 「さっさと歩け! 早く行けば、早く殺してもらえるんだろうよ」と、高笑いする。


 いや、そんなことはない。ジークは必ずもてあそぶ。ライブで見せ物にしたのも、トランプを引かせたのもそうだ。


 (みんな引き剥がして、みんな奪って。一人にして、一人になったところをまた)


 悔しい! はっきり言って、こんなに現実が無慈悲だと思っていなかった。どこまでも理不尽でどこまでも絶望がつきまとう。だけど、泣いたら完全に敗北だ。まだ、諦めない。諦めきれない! だってユルセナイから!


 抑えられない怒りが沸き立つ。体から溢れるほどだ。何が僕に力を与えたのか分からないが、引きずる足も、痛む腕も、全てが一丸となってゲリーを押し倒した。


 不意をついたので、驚くほどゲリーが前に吹っ飛んだ。そのまま自分も転がって、明かりのない暗闇に入る。




 「ガ、ガキ! まだ動けたのか!」


 突進するゲリーをかわすべく、転がる。すると、途中で床に手が沈んだ! 床が底なし沼になっている! 手を抜こうとしたら、バランスを失って足まで沈んだ。どうなっている? 視界がゼロになった。足だけではなく体も沈み始める。


 「そ、そこは!」


 ゲリーが目を血走らせて飛びかかってくる。そのときには自ら床に飛び込んだ。どうなるか分からないが、捕まるよりましだ。


 「クソ!」

 床にゲリーがぶつかる音が暗闇でかすかに聞こえた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み