69.悪魔の街

文字数 2,443文字

 暗かった。バレは目を開けているのか閉じているのかも分からなかった。しばらくして開けていたことに気づく。チャスが見えたからだ。

 「大丈夫か。ぼうっとして。着いたぞ」


 暗闇に飲まれたと思った。でも、さっきより明るい。月明かりのおかげかなと思って、空を見上げると、月の色に肝が冷えた。血の色。身の毛がよだつ。ああ、堪えなければ。また人を殺めてしまう前に。

 「大丈夫か?」


 チャスが肩を持ってくれた。手には冷や汗が滲み出ていた。そうか、オルザドークに薬を打ってもらったことを、忘れていた。暴れ出さずに済んでよかった。


 魔界という場所は、赤い月以外は暗い場所だ。雲は分厚く、低い空を漂っている。風は渦巻き、時折、雷が音を立てる。木々はざわつき、悲鳴にも似た、生き物らしい鳴き声が聞こえたりした。チャスによれば、魔界のほとんどが、荒野らしい。


 今いる場所も近くに林が見えるが、ほぼ荒野と言っていいだろう。ただし、いきなり地形が変わるところがあるらしく、森や沼が突然現われたり、消えたりするそうだ。それは土地に魔力があるからで、人間界にもまれにあるらしい。


 そういえば、動く家の町があったな。土地が呪われているとかで。そんなことを懐かしく思っていると、オルザドークに厳しく言われた。

 「注意事項だ」


 オルザドークは眠そうに語りはじめた。やはりこの人は真剣にここに来たとは思えない。

 「いいか。魔界っていうのは、俺も知らない場所が山ほどある。落とし穴とか、暗い道には気をつけろ。地獄に繋がっていることがある」


 「地獄?」

 「行ったことはないが、危険度が高そうな場所だ」


 当たり前のような言い方だ。オルザドークさんでも何があるのか分からないだけではないか。

 「作戦会議だ」


 チャスが先導した。

 「歩きながらでいいから聞いてくれ。魔界には悪魔が大勢いる。まず、やらないといけないことは、ずばり変装だ」


 そこで、チャスはお手本というように、術を見せる。チャスは紋章の入ったコイン(といってもチャスの紋章は三本のぎざぎざの線だけのシンプルなものだ)を頭に乗せる。すると、音を立て、雷をまとう煙の中に消える。煙が晴れると、そこには、コウモリの羽を生やした、黒服のチャスがいた。ジークまでには及ばないが、控えめな装いでセンスは悪くない。


 ただ、耳と先の黒い尻尾が残ったままだ。

 まじまじと見ていたので、チャスが照れた。

「これは失敗の例だ」


 もしかして、愛嬌じゃなくて、耳と尻尾は隠せないのか。


 続いてオルザドークが自身に魔法をかける。杖を地面につくと、噴出した黒い渦が体を取り巻いた。やがてオルザドークにもチャスのように黒い羽が背中につく。爪も黒く伸び、牙まで生えた。仕上げに、頭から黒い角も。ただし、服装はだらしないズボンとランニングのままだった。

 「お前もやれ」


 変身魔法は習ってない。でも、オルザドークに失敗するところを見られたくないという、意地みたいなものがあった。魔力をとりあえず集めた。体の中に魔力が欲しいと訴えるのだ。これにはもう慣れているので楽勝だ。


 だが、思いがけないことが起こった。耳が横に引き伸ばされる感覚。違う、本当に伸びた。爪も、のけぞって黒く伸び、背中が、むず痒くなる。背中に魔力を感じる。こんなことは初めてだ。


 「そのまま力を放て」

 オルザドークが腕組をして言った。何のことか分からないが、自然に、芽が土からかえるように、黒い光を放って翼が背に根づいた。チャスが言葉を失っていた。改めて自分が悪魔であることを実感した。


 「やればできるじゃないか」

 わざとらしいオルザドークの笑み。しばしの沈黙。

 「薬は効いてないのか?」

 何を言い出すんだという顔のオルザドークは頭をぼりぼりかく。


 「効いてるだろ。あれは赤い物に対する反応を和らげる薬だ。誰も人間に戻せるなんて言ってない」


 再び沈黙。チャスの心配そうな視線を避けようとして視線をそらす。同時に気づかってくれたチャスが遠くを指差す。

 「街が見えたぞ」


 夜に浮かぶ輝く街。魔界にも街がある。色とりどりの光が街から空まで照らしている。近づいて行くにつれて、体にまで響く騒音が聞こえてきた。建物は高く黒い。一番遠くに雨雲を突き抜ける黒い城がある。


 「あれがジークの城だろうな。分かりやすいな」

 確かジークは次期魔王候補だとか言っていた。あんな大きな城に暮らしているのだろうか? あっけに取られながら質問した。

 「魔界は荒野だけじゃなかったんだ」


 「魔界の唯一の街、ローゼン・バロンだ。昔そういう名の悪魔がいたそうだ。ここは人間界で言う首都だな。人間界で一番進歩している町と同じぐらい建物の技術が進んでいるらしい。壁はレンガじゃなくて、コンクリートって呼ばれる硬い素材でできているらしい」


 「あれは?」

 空を貫く光の数々を差して聞く。


 「サーチライトって言うのかな。それと、建物についているのはネオン。何でも、悪魔は娯楽や流行や音楽とかが好きだから、空もカラフルにしたいんじゃないか」

 「あいつらの趣味は悪質だ」


 オルザドークが吐き捨てる。確かに見慣れない町並みだ。夜なのに賑やかなのは音楽のせいだ。街の入り口に到着すると、さっきから聞こえていた騒音の正体に気づいた。聞いたこともない早い曲が、あちこちで聞こえる。しかし何よりも一番の驚きは、

 「悪魔!」


 数百はいた。人混みで、通りが溢れ返っている。その中にオルザドークは溶け込んでいく。僕も息を飲んで、覚悟を決めて街に入っていく。

 「多くないですか?」


 前から来る悪魔の男にぶつかりかけて、肝を冷やした。

 「ここは魔界だ。悪魔の一匹や二匹いる」


 「まあ、多すぎだろうな」チャスも溶け込んでいる。


 「昔に比べたら少ない方だ。気をつけろよ、悪魔は気が短いやつが多い。魔界の住人じゃないとばれたら終わりだと思え。悪魔同士でも容赦しないからな」さらっと言い流し、オルザドークは見事に人混みをよける。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み