47.血の欲求
文字数 1,870文字
焼ける程の熱風が、もうすぐ炎に飲まれることを教えていた。助かる手立ては何もない。自分はただ落ちているだけなのだから。ロウソクの炎は意志があるかのように自由に動く。まるで大きく口を開けて、丸呑みにする蛇のようにうねりながら。
まだ、死にたくない。
白い髪の少年ジークのことが分かりかけたばかりじゃないか。これでは、父と母も無念だ。
グッデは必ず魔法を成功させてくれるはずだ。要姫の水の魔法ができたのだから。もっと、もっと生きていたい。死にたくない。そう強く思ったとき、空に輝く、赤々とした文字が目に入った。
『血』
世界が変わった気がした。この感覚は何だろうか?
ひどく落ち着いて、空気が冷たい。味がする。しぶい味が。胸の鼓動が高鳴って、妙に苦しい。のどが乾いて痛い。その原因は何だ?
あの空の文字がまるで語りかけてくるようだ。その原因は何だと。その原因は? お前は欲していると。
炎が目前で、覆い被さろうとしている。生きたい。生きたい! こんなところで、死にたくない。
血という存在。血という性質。血という物質が頭の中で描かれ、回り、泳ぎ、離れない。喉がごろごろ鳴り出した。そう、自分は求めている。
血が欲しい。
今まで否定し続けてきたが、押さえようと、こらえてきたが、ずっとずっと欲しかった。ああ、欲しい。欲しくて欲しくてたまらない。飲みたいんだ。生暖かい生き血を、この口に含んで、舌で転がして、喉の奥に染み渡らせたい。
欲望に身を任せたとき、背が軽くなった。開放感が広がる。炎が遠巻きに去っていく。夜空に輝く赤い文字に飛びつくように舞い上がった。こんな自由は感じたことがない。町が小さくなっていく。今自分は空を飛んでいる。
背中には自分を運んでくれた黒い羽。コウモリのような黒い羽。痛みが消えた。撃たれた傷跡もない。でも、物足りなさを感じる。足りない物。足りない物がある。空の文字が教えてくれた。赤い物。赤くて真っ赤に滴る、血。
月にまで届きそうだ。ああ、あの月が赤ければどれだけ素敵だろう。赤ければ全てが美しい。何か赤いものはないか? 地上は退屈するくらい殺風景な野原や荒野ばかり。
さっきの町を見下ろすと、雷でも落ちたような音を立てて崩れはじめている。まるで役目は終わったとばかりに土砂を巻き上げ崩壊していく。最初から何もなかったように思える。夜の静けさと月明かりだけが、荒野を包んでいる。
そこに疲れをあらわに、座り込んでいる金髪の少年を見つけた。その無念そうな顔は、どこか風情がある。
僕は、そっと舞い降りて、羽を背中にしまった。この不思議な羽は生まれたときから使い慣れているように思える。いや、今はそんなことは関係ないのだ。
見るからに小さくうずくまる少年は、とても凛々しい顔だ。気づかれないように後ろからゆっくり近づく。
「おれのせいだ。おれがちゃんと手を握ってなかったから。おれだけ魔法が成功するなんて、嘘だろ。あいつの方が俺よりよっぽど音楽家になりたかったってのに」
訳の分からないことをぶつぶつと呟いて。この少年は自分の危機を心配するべきだ。僕は少年の丸まった背中を見ると口が裂けて笑い出しそうだ。
「バレ」
バレとは誰のことだ? 僕は考え込んでしまって、足音を消すことを忘れた。金髪の少年が砂利を踏む僕の足音に気づいた。
「はは、おまえ死んだのかと思ったぜ。全く!」
心から、喜びの声をあげる少年。何が嬉しいのか僕には分からない。彼の世界は今楽園にあるようだ。足りないものなんて一つもないというように僕をきつく抱きしめる。
その一方で、僕は飢えている。消そうとしては、渦巻く赤い世界。手を伸ばして触れたい衝動。直接手に入れて味わいたい満足感。
足りない。
「心配してたんだけどさ、あのロウソクの火が追いかけて来て! そんで、おれ魔法で飛んだんだぜ、ほんとにあれは、死ぬかと思ったな」
少年の声を受け取れない。赤い物がすぐ側にあるという事実として、押し寄せてくる。あのジェルダン王の津波のように、さけられそうにもない、すごく大きな衝動。
目の前の少年はグッデではないだろうか? かすんでよく見えない。僕はどうしてここに?
喉がからからで、指がさっきからわなわな震えている。その細かい震えが、手に、腕に、肩に、と広がっていく。僕は誰だ。
「どうかしたのか?」
その問いには答えることもできない。今口を開くと、とんでもないことを言い出しそうだ。グッデの屈託のない表情が狂おしい。グッデに顔をのぞかれると、もう駄目だ。
まだ、死にたくない。
白い髪の少年ジークのことが分かりかけたばかりじゃないか。これでは、父と母も無念だ。
グッデは必ず魔法を成功させてくれるはずだ。要姫の水の魔法ができたのだから。もっと、もっと生きていたい。死にたくない。そう強く思ったとき、空に輝く、赤々とした文字が目に入った。
『血』
世界が変わった気がした。この感覚は何だろうか?
ひどく落ち着いて、空気が冷たい。味がする。しぶい味が。胸の鼓動が高鳴って、妙に苦しい。のどが乾いて痛い。その原因は何だ?
あの空の文字がまるで語りかけてくるようだ。その原因は何だと。その原因は? お前は欲していると。
炎が目前で、覆い被さろうとしている。生きたい。生きたい! こんなところで、死にたくない。
血という存在。血という性質。血という物質が頭の中で描かれ、回り、泳ぎ、離れない。喉がごろごろ鳴り出した。そう、自分は求めている。
血が欲しい。
今まで否定し続けてきたが、押さえようと、こらえてきたが、ずっとずっと欲しかった。ああ、欲しい。欲しくて欲しくてたまらない。飲みたいんだ。生暖かい生き血を、この口に含んで、舌で転がして、喉の奥に染み渡らせたい。
欲望に身を任せたとき、背が軽くなった。開放感が広がる。炎が遠巻きに去っていく。夜空に輝く赤い文字に飛びつくように舞い上がった。こんな自由は感じたことがない。町が小さくなっていく。今自分は空を飛んでいる。
背中には自分を運んでくれた黒い羽。コウモリのような黒い羽。痛みが消えた。撃たれた傷跡もない。でも、物足りなさを感じる。足りない物。足りない物がある。空の文字が教えてくれた。赤い物。赤くて真っ赤に滴る、血。
月にまで届きそうだ。ああ、あの月が赤ければどれだけ素敵だろう。赤ければ全てが美しい。何か赤いものはないか? 地上は退屈するくらい殺風景な野原や荒野ばかり。
さっきの町を見下ろすと、雷でも落ちたような音を立てて崩れはじめている。まるで役目は終わったとばかりに土砂を巻き上げ崩壊していく。最初から何もなかったように思える。夜の静けさと月明かりだけが、荒野を包んでいる。
そこに疲れをあらわに、座り込んでいる金髪の少年を見つけた。その無念そうな顔は、どこか風情がある。
僕は、そっと舞い降りて、羽を背中にしまった。この不思議な羽は生まれたときから使い慣れているように思える。いや、今はそんなことは関係ないのだ。
見るからに小さくうずくまる少年は、とても凛々しい顔だ。気づかれないように後ろからゆっくり近づく。
「おれのせいだ。おれがちゃんと手を握ってなかったから。おれだけ魔法が成功するなんて、嘘だろ。あいつの方が俺よりよっぽど音楽家になりたかったってのに」
訳の分からないことをぶつぶつと呟いて。この少年は自分の危機を心配するべきだ。僕は少年の丸まった背中を見ると口が裂けて笑い出しそうだ。
「バレ」
バレとは誰のことだ? 僕は考え込んでしまって、足音を消すことを忘れた。金髪の少年が砂利を踏む僕の足音に気づいた。
「はは、おまえ死んだのかと思ったぜ。全く!」
心から、喜びの声をあげる少年。何が嬉しいのか僕には分からない。彼の世界は今楽園にあるようだ。足りないものなんて一つもないというように僕をきつく抱きしめる。
その一方で、僕は飢えている。消そうとしては、渦巻く赤い世界。手を伸ばして触れたい衝動。直接手に入れて味わいたい満足感。
足りない。
「心配してたんだけどさ、あのロウソクの火が追いかけて来て! そんで、おれ魔法で飛んだんだぜ、ほんとにあれは、死ぬかと思ったな」
少年の声を受け取れない。赤い物がすぐ側にあるという事実として、押し寄せてくる。あのジェルダン王の津波のように、さけられそうにもない、すごく大きな衝動。
目の前の少年はグッデではないだろうか? かすんでよく見えない。僕はどうしてここに?
喉がからからで、指がさっきからわなわな震えている。その細かい震えが、手に、腕に、肩に、と広がっていく。僕は誰だ。
「どうかしたのか?」
その問いには答えることもできない。今口を開くと、とんでもないことを言い出しそうだ。グッデの屈託のない表情が狂おしい。グッデに顔をのぞかれると、もう駄目だ。